[和泉市]万町で飛鳥仏が発見される|天受院【社寺・旧跡めぐり】

投稿者 記者・ 杉本

天受院

飛鳥時代、和泉府中から室堂町北交差点への国道480号沿いは大陸から最新の文化が入ってくるルートで、言わば国内有数の最先端エリアだった。様々な技術や芸術、仏教の教えと共に海を渡って来た渡来人は多くがこのエリアから飛鳥にかけて定住し、それらを広めていった。このエリアには大規模な古代寺院が次々と創建された。

室堂町北交差点近くにあった池田寺や坂本寺は、以前ご紹介した通り、金堂・宝塔・鐘楼など七堂伽藍を備えた立派なものだった。

室堂町北交差点から泉北1号線を和泉中央駅方向に進むと、万町北1号交差点、駅を越えると唐国東2号・唐国中1号交差点だ。唐国町の名前の由来は渡来人が多く住んだからとも、韓国(からくに)に朝廷の使いとして行った物部系氏族が韓国連(からくにのむらじ)となってここに住んだからとも言われている。そして、唐国町の手前にある万町の天受院からは飛鳥仏「銅造如来立像」が発見されている。飛鳥仏は大陸から伝わったものや渡来人作のもので、大陸風のアーモンドアイやアルカイックスマイルが特徴だ。

渡来人の血を引く鞍(くら)つくりの作止利(とり)が作った法隆寺金堂釈迦三尊像や飛鳥寺釈迦如来像などが代表的。研究者が天受院の小さな脇仏が飛鳥仏と似ていることに気づき、発見へとつながった。天受院の飛鳥仏はどういう経緯でもたらされたかわかっていないそうだが、地理的には飛鳥仏が伝わっていても不思議ではない。

ちなみに、万町の名前の由来は町内にある弘法寺の地蔵菩薩が「福徳地蔵」と呼ばれるほど御利益があり、万金を持つ長者が大勢住んだことによる。江戸時代、伏屋氏が国学の始祖・契沖を寄寓させて研究を支えたエピソードからその豊かさがうかがえるが、確かに今も白壁板塀で蔵のある家が多い。文化を理解し、先人が残したものを受けつなごうとする地元民の気風が飛鳥仏の再発見につながったと言えるだろう。

関連記事
和泉市万町に飛鳥仏(2019.8.21)

記事中に掲載されている情報は掲載日(2023年8月9日)時点のものです。

泉北・金剛さやまコミュニティでは、新しいお店の情報や季節の移り変わりなど、いろいろな情報を募集しています。
投稿・情報提供いただき、採用された方から抽選でプレゼントを進呈しています。お気軽に投稿してください。

広告
天受院
最新情報をチェックしよう!