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堺市内で数少ない黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院「普陀山海岸寺」(中区平井)。黄檗宗は江戸時代初期に中国から伝来した禅宗の宗派で〝海岸禅寺〞とも呼ばれている。龍宮造りの山門は、その形や色使いが印象に残る。
開創は江戸初期と伝えられるが詳細は不明だという。当時、平井には黄檗宗海岸寺、真言宗観音寺、真言律宗安楽寺の三か寺があった。明治初期には、安楽寺と観音寺が廃寺となり、二つの寺の仏像はすべて海岸寺で安置されるようになった。ご本尊の「大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)」は江戸時代初期の作。仏像として彫られることが少ない稀有な菩薩像だという。
江戸時代に泉州三十三か所第七番札所だった観音寺を引き継いだため、その後継の和泉西国三十三か所観音霊場では、海岸寺が第七番札所となっている。元の本堂は1961年(昭和36年)の第二室戸台風で倒壊し、現在の本堂は98年に再建された。本堂前には、禅宗で弥勒菩薩の化身とされる「布袋尊」の石像が安置されている。
また、06年に完成した鐘楼にある釣鐘は「延命の鐘」と呼ばれる。太平洋戦争時の金属回収令に従って供出されたが、鋳(い)つぶされる前に終戦。成分分析のため4つの穴を開けられながらも延命できた鐘は、元々吹田市の寺にあったが移転のため、縁あって海岸寺が譲り受けた。