[和泉市]弥生時代の遺構を復元|池上曾根遺跡【社寺・旧跡めぐり】

投稿者 記者・ 杉本

社寺旧跡(池上曾根遺跡)

大学生の時、伊ナポリ近郊にあるポンペイ遺跡を訪れた。ポンペイは貿易とワイン醸造で栄えた古代の海洋都市で、人口は約一万人。街には神殿、闘技場、円形劇場があり、上下水道や公衆浴場も完備。貴族は噴水や美術品で邸を豪華に飾り、庶民は健康的な食と豊かな娯楽で暮らしを満喫していた。西暦79年、ヴェスヴィオ火山噴火による火砕流でポンペイは一夜にして埋没した。シリカゲルに似た火砕流に覆い尽くされたことで街全体がタイムカプセルとなり、現代にその栄華を伝えている。

街を歩き、一夜で滅んだ悲劇性、華麗な文化、そして『ポンペイが滅んだのが日本の弥生時代』という事実に衝撃を受けた。日本人が貫頭衣着て米作りして、泉北では硬めの土器を焼いてた頃にこのレベル!?

そんな自分の中の弥生時代のイメージを良い方に変えてくれたのが池上曽根遺跡だ。かつてここに存在した環濠集落が最盛期だった頃=弥生時代中期の姿を復元している。

環状に濠をめぐらせたこの集落には地面に掘った穴に直接柱を立てた掘ったてばしら立柱建物が点在していた。中でも中央の建物「いずみの高殿」はヒノキの大木を26本使った弥生時代最大級のもの。その南側にはクスノキの大木の真ん中をくり抜いて井筒にした日本最大のくり抜き井戸「やよいの大井戸」がある。この2つがあまりに大規模だったため、なんと発掘された衝撃で和泉市のイメージキャラクター「コダイくん・ロマンちゃん」が、2千年前に栄えた「イズミ国」から現代の和泉市へとタイムスリップしてきたそうだ(和泉市談)。祭壇、銅器・鉄器を作る工房などもあり、自然を敬い、自然と共に生きる暮らしがうかがえる。

現在、中央の建物「いずみの高殿」は和泉市父鬼町三国山産のヒノキ、刳抜井戸「やよいの大井戸」は東大阪のクスノキを使って復元されている。発掘された時、中央の建物跡には26本中18本もの柱が残り、刳抜井戸には水が湧き出ていたそうで、この地と弥生文化の持つ生命力に驚かされる。

ヨーロッパの石造りの街と文化は目も眩むほど煌びやかだ。しかし、日本で連綿と続いてきた自然と共生する暮らしにも、心に訴えかけるような清々しい美しさが宿っている。

池上曽根遺跡

Information

以下の情報は2022/02/10時点のものです

池上曽根史跡公園

電話番号
0725-45-5544
住所
和泉市池上町四丁目14-13

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営業時間
10時~17時
定休日
月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)
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