[和泉市]朝鮮人労働者の慰霊祭 昭和の光明池の歴史を知る

投稿者 記者・ 杉本

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光明池の朝鮮人労働者慰霊碑で慰霊祭が行われた。和泉市人権協会主催で年1回開かれる現地学習会の一環で、今年で26回目。光明池は灌漑用ため池で、1931年から始まった建設工事は山を削って出た土をトロッコで運んで堤防を作るという大がかりなもので、土砂崩れやトロッコ事故など、過酷な作業で10人以上の朝鮮人労働者が犠牲になった。5年後の本堤防完成時に朝鮮人労働者慰霊碑が建立されたが、いつの間にか崩れ忘れられていた。しかし、歴史を風化させてはいけないと、1983年に石碑を再建。2005年に光明池土地改良区が祠を修復し、2006年に和泉市人権啓発推進協議会多文化共生部会が日本語とハングルの2か国語の説明板を建立。さらに、1995年に元府立高校教員の三宅美千子さんら和泉市民有志による「和泉市における在日朝鮮人の歴史を知る会」が発足した。

慰霊祭では三宅さんが歴史的経緯の解説を行った。当時朝鮮人労働者が「泉北光明池会」を結成して地元住民と仲良く暮らしていたこと、工事による犠牲者を皆が悼んでいたこと、現地に今もお墓が残っているこ
となど、昭和の光明池の歴史が語られた。参加者は朝鮮人労働者達の尊い犠牲のもとに現在の豊かな生活があることを実感した様子で、慰霊碑に黙祷を捧げて献花した。三宅さんは「お墓に出身地らしい地名が刻まれているので、更に調査して、福岡教育大と韓国の大学の先生を通じて遺族に遺骨を奉還することを目指します」と抱負を語った。

記事中に掲載されている情報は掲載日(2022年11月3日)時点のものです。

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