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大阪府南部の泉北丘陵一帯に広がる「陶邑窯跡(すえむらかまあと)群」に、新たな歴史探究につながった遺跡がある
。阪和自動車道の建設に伴う91年の発掘調査で見つかった大庭寺(おばでら)遺跡。その2基の窯跡は、これまで最古とされてきた「高蔵寺地区73号窯跡」よりも古い時期のものと判明。須恵器生産開始当初を知る上で重要な資料と評価され、その出土品が、今年3月に大阪府の有形文化財(考古資料)に指定された。
陶邑窯跡群は古墳時代中期から平安時代にかけて、千基を超える窯跡が見つかった古代日本最大の須恵器生産地域。ここから出土した須恵器は、全国各地で出土する須恵器の年代を知るための基準〝年代のものさし〞として貴重だという。
地形によって8つの地区に分けられ、大庭寺遺跡は石津川と和田川にはさまれた栂(TG)地区にあり、2基の窯跡はTG231、232号窯と名付けられた。また、周辺からは窯操業に関わる諸施設や居住域なども発掘されている。
窯本体は2基とも失われていたが、焼成にともなう炭や焼き損じた器を捨てた灰原がそれぞれ残っていた。見つかった出土品は須恵器が大多数を占め、その特徴から窯跡群の中でも、最も初期に当たる4世紀末〜5世紀前半(前葉)にかけての窯と推計されるという。
大庭寺遺跡の出土資料は形態・技法ともに朝鮮半島の陶質土器の特徴を色濃く残している。大阪府文化財保護課では「日本古代の窯業生産を考える重要資料であり、ひいてはヤマト王権と朝鮮半島を考える重要資
料でもある」として指定を決めた。