3連休の月曜に宿院に出かけた。そして山ノ口商店街の衰退ぶりに驚いた。かつて堺を代表する商店街として賑わっていたのに、今では泉北の近隣センター以上に寂れている。
近くに利晶の杜がある。竹山前市長は波及効果で山ノ口商店街も賑わうと豪語していたが、まったく影響がない。利晶の杜すらもイマイチの人出だった。永藤市長の公約だった仁徳陵上空に気球を飛ばす計画も、万博には間に合いそうもない。もし間に合えば、全国に堺をPRする絶好のチャンスなのに。
そして「気球」のついでに、宿院の開口神社や利晶の杜など訪れると、活気が戻ってくる。市長や全議員が、商工会議所や観光協会のエライさんも大声を出してムードを盛り上げれば、万博に間に合うかも。三流紙が吠えただけではダメだ。
黄金の日々の堺は、なぜ衰退したのか。元博物館館長の角山榮氏は『堺――海の都市文明』(PHP新書)で、大和川の付け替えが原因だと言う。「土砂が流れ込んで港がダメになるのは誰でも気が付いたのに、当時のエライさんは幕府に何もクレームをつけなかった」と。
今回の「気球」も、気概なさが似ている。(さらがい)
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記事中に掲載されている情報は掲載日(2025年1月28日)時点のものです。