林羅山(はやしらざん)は江戸初期の儒学者で、儒学の中の朱子学に日本古来の神道的な価値観と結び付けた新たな儒学を説いた。23歳で徳川家康に顧問として召し抱えられて以降、徳川将軍4代にわたって仕え、武家諸法度など江戸幕府の制度や儀礼を思想面から整え、封建制度を支える幕府官学の祖となった。
羅山といえば、方広寺の梵鐘に彫られた「国家安康」が家康を呪詛(じゅそ)する文言だと断罪したエピソードが有名だ。これをきっかけに豊臣家は破滅へと追いやられていった。
幕府公認の学問の祖で、豊臣家を破滅に追いやるように文を読み解いたというと、なんだか怖くて近寄りがたい人物のように思える。しかし、羅山は高潔さを追求する一方で、豊かな着想を持った文人としての顔も持ち合わせていた。随筆や詩が数多く残っていて、その中の一つは泉北を題材にしたものだ。
茶山台の由来は「御茶屋山」という元々の地名によるものだ。茶畑がある眺望絶佳な山地で、豊臣秀吉は高倉寺宝積(ほうしゃく)院にある秀吉ゆかりの茶室(宝聚庵〈ほうじゅあん〉)で風情ある茶事を楽しんでいた。

もう少し後の江戸時代には、陶器藩藩主小出氏もこのお茶山で遊んでいたという。初代藩主・小出三尹(みつただ)と子の2代・有棟(ありむね)は文学好きで、羅山と親交があった。遊びに来た羅山が、この美しい眺めを見て詠んだ漢詩が「陶器十景」だ。何の因縁か、秀吉と羅山は同じ眺めを愛でていたのだ。
秀吉が去った後のこの風景を眺めながら、羅山はどんな思いでこの漢詩を詠んだのだろうか。
※2017年10月26日号の記事を再度掲載します。
Information
以下の情報は2023/06/09時点のものです
高倉寺(たかくらじ)
- 住所
- 堺市南区高倉台2-9-15


