(郷土史家 檜本多加三<檜尾在住>)
「アンタ、この泉北にも昔は豪族が住んでたらしいで」
「蘇我とか大伴とかいうやつか…」
「そんな大豪族と違うて、地方豪族と言うて、上神(にわ)氏や和田(みきた)氏、大庭(おおば)氏といった地方豪族や」
「そんな難しい大昔のこと、どこで教えてもろてきたんや?」
「シニア大学で教えてもらったんやけど、孫の健にも教えたろうと思ってんねん」
平安時代にまとめられた「延喜式神名帳」には、格式の高い神社や有名豪族のほかに、上神谷の地名を残す上神氏や美木多の地名を残す和田氏、美多彌(みたみ)神社に名を残す民直(たみのあたい)などといった泉北ゆかりの地方豪族名も記されています。
「健ちゃん、上神氏や和田氏って知ってるか?」
「ああ、堺南部の古代豪族の話やな…」
「えっ、健ちゃん、そんなことまで知ってるの?」
「俺な高校の地歴部に入ってて、堺の歴史や伝説の土地を見て回ってるねん」
「私と一緒やな。私はシニア大学やけどな…。でも民直や陶荒田(すえのあらた)といった地方豪族はわかるけど、ただ一つ和山守首だけは伝説もなく、読み方さえ分からんらしいねん」
「その疑問視されてる和山守首をな、泉北の郷土史家がニギヤマモリとか、イゲヤマモリとか読んで、原山台と庭代台の境界辺りかもしれないって言うてたで」
「エッ!敷物団地のすぐそばやない」
「昔の上神谷と和田谷との間の丘陵部に居たかもしれんのやて。陶工か木を切る山の民かどっちやったんかなぁ…」
古代ロマンに夢をはせる一家の話でした。




