(郷土史家 檜本多加三<檜尾在住>)
泉北ニュータウン桃山台の近隣センターあたりが、江戸時代に旧道の六差路となっていました。北に行くと稲葉・菱木、北西に行くと野々井、北東に行くと三木閉、西に行くと大森、東に行くと栂、南に行くと中山(檜尾)と六道の辻でした。
この辻に立っていたのが門下(かどか)地蔵で、昔から霊験あらたかなお地蔵さんとして知られていました。

江戸時代後半の文化年間の頃、堺の木綿買い付け商人の石川屋藤兵衛なるものが、上神谷や美木多の木綿畑を見て歩き、買い付けも終わって門下地蔵の前でいつも通り腰を下ろしてひと休みしていました。
ところが、朝早く堺の街を出たためか、ついウトウトしてしまい、気が付くと夕方近くなっていました。
慌てて起き上がり、小走りで堺に向かいました。そして菱木神社でひと休みしようと思った時、買い付けで払った手付金の残りが入った胴巻き(財布)を門下地蔵の前ではずしたことを思い出しました。
今度は小走りではなく、必死の思いで門下地蔵まで駆けつけましたが、そこには胴巻きが見当たらず、マムシがとぐろを巻いていました。
「しまったぁ、しまったぁ……」と何度も自分に舌打ちして嘆いていると、マムシはお地蔵さんの裏の茂みに入って行きました。
すると、マムシのいた場所に胴巻きがあるではありませんか!藤兵衛さんは大喜びする一方、「あのマムシこそお地蔵さんの化身で、我が胴巻きを守ってくれてたのだ」と大感謝。
いま門下地蔵は、南区大森の多目的広場の北側に鎮座なされています。



