(郷土史家 檜本多加三<檜尾在住>)
和田の村に、よう働く若夫婦がいました。明治以降は、ほとんどの住民が土師と大仲という苗字となりましたが、そんな苗字もあったか無かったかわからないほどの昔の話です。
若夫婦は、朝から晩まで田や畑に出て、実によく働きました。でも生活はちっとも楽になりません。そんなある晩のこと。「何で私ら裕福になれへんのやろ」「まじめに一生懸命働いてるのになぁ」
2人が思案顔のところに、でっぷり太った神様が姿を現しました。「あんたらが豊かになられへんのは、ワシがおるからや」「おたくさん、一体どなた?」「ワシか?ワシは貧乏神や」「貧乏神や言うのに、おたくさんはでっぷり太ってはるなぁ」「そらそや。あんたらがよう働くよってにワシは左うちわで腹も出てきたんや」「そんなら、もう出て行ってんか」「いやや。こんなよう働く家から絶対に出て行かへんで」
そこで若妻は、腰ひもをほどき、前をはだけて、貧乏神の前に立ちました。これには、貧乏神も久米仙人同様に腰砕けとなり、ついには岩石となってしまいました。
それから若夫婦の家は本当に豊かになり、子孫繁栄したという話です。なお、これ以来、この石は「福石」と呼ばれ、今は宮山台の多治速比売神社に安置されています。


和田の村は、古代の地方豪族・和田(みきた)氏や大中臣(おおなかとみ)姓の和田氏らとゆかりがあるとされ、南北朝時代に楠木氏とともに活躍した和田氏は、この和田の村出身だったとも言い伝えられています。
※JA堺市の広報誌「CROP」に連載中の「創作 堺むかし話」から、泉北ニュータウンにちなんだ場所のお話を掲載します。

Information
以下の情報は2023/06/09時点のものです
多治速比売神社(たじはやひめじんじゃ)
- 電話番号
- 072-297-0726
- 住所
- 堺市南区宮山台2-3-1
- 駐車場
- あり

