[泉北]かつて一帯は桃の名産地・桃山台~社寺・旧跡めぐり~

投稿者 記者・ 杉本

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 堺市公式ホームページに掲載されている泉北ニュータウンの地名由来一覧で、桃山台はかつて桃の栽培地だったことに由来しているのが分かる。大阪府でも最盛期は岡山県に匹敵する2000トンの出荷量があった。しかし昭和のニュータウン開発に伴い、桃の栽培地は激減した。千里に続いて泉北でも、桃が消え「桃山台」という地名だけが残された。

 大阪で桃栽培が始まったのは江戸時代。1756年(宝暦6年)に羽曳野で栽培されていた記録が残っている。華やかで美しい花も愛された。環状線桃谷駅周辺には広大な桃林があり、1850年頃の書物「浪速の賑ひ」に桃の花見スポットと記されている。明治28年に環状線が敷設されると市街化が進み、桃は姿を消した。千里・泉北ニュータウン開発時と同じ構図だ。

 現在の大阪府での主な産地は岸和田市と河内長野市。ギネス記録で知名度を増した岸和田・包近は明治時代から。河内長野市は小山田が有名で、約130年の歴史がある。どちらも都市部に近い地の利をいかし、樹で完熟させた高い糖度の桃を生産する。桃山台に大きな桃栽培地が残っていれば、泉北でも採れたての甘くて香り高い桃をもっと気軽に食べることが出来たのだろうか。なんだか惜しい。

 西遊記の孫悟空は桃を好んで食べる。桃は中国で長寿の象徴で、出世を象徴する動物・サルが桃を手に持つ様は吉祥図案として日本でも人気だ。8月3日、桃山台にサルが現れて地元でちょっとした騒ぎになった。このおサルさん、桃林が無くなったことを知らなかったのかもしれない。

記事中に掲載されている情報は掲載日(2020年9月11日)時点のものです。

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