[堺市南区]流鏑馬復活の理由は… 歴史背景に武士文化の興隆/美多彌神社

投稿者 記者・ 杉本

美多彌神社

美多彌神社前に流鏑馬(やぶさめ)が描かれた看板がある。流鏑馬は地元の文化の継承を目指した故西尾修宮司の悲願だった。そして2014年3月、同神社は720年振りに流鏑馬を復活させた。

流鏑馬の由来が書かれた看板
流鏑馬の由来が書かれた看板。美多彌神社総代会と流鏑馬保存会が寄贈した。

現在の同神社のシリブカガシが茂る平和なイメージから、なぜ流鏑馬「復活」なのかと思う方も多いかと思う。歴史を紐解いてみよう。

神社名の「みたみ」は美多彌神社の主祭神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)の後裔(こうえい)・民直(みたみのあたい)氏の名前「民」から来ている。壬申の乱の時、民直小鮪(みたみのあたいおしび)が天武天皇(大海人皇子)側につき、河内から倭に来る敵と戦った、と記録にある。
平安末期、この地は河内国から移ってきた和田(みきた)氏の荘園となった。地名の美木多は和田氏からきている。

美多彌神社 地図

その後、美多彌神社は後醍醐天皇の御代に大いに栄え、楠木正成一族の守護神として信仰を集めた。織田信長の兵火で焼失したが、楠木一族の和田道讃が再建した。和田氏は武士団を結成し、流鏑馬で武芸を磨いて敵に備えた。
つまり、流鏑馬をはじめとする武士の文化もこの地の歴史の一部なのだ。

同神社は弓馬術礼法小笠原教場の指導による子ども流鏑馬教室を行っている。教室では3月に1年間の総仕上げとして、修練を積んだ子ども達がきらびやかな装束を身につけ、凛々しく弓を引く神前奉納を行う。

流鏑馬も神前奉納も大勢の観客が押し寄せ、目の前の中世絵巻に酔いしれた。その関心の高さが伝統文化の持つ力のすごさを表している。きっと次世代に引き継がれていくだろう。

※2017年1月5日号の記事を再度掲載します。

Information

以下の情報は2023/06/22時点のものです

美多彌神社

電話番号
072-297-1179
住所
大阪府堺市南区鴨谷台1-49-1

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記事中に掲載されている情報は掲載日(2025年9月14日)時点のものです。

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