80年前の夏、昭和天皇の玉音放送に至るまでの過程で、終戦に導く大きな役割を果たした第42代内閣総理大臣の鈴木貫太郎。唯一の堺出身の総理大臣である彼は、生まれた地の産土神(うぶすなかみ)として多治速比売神社を、生涯にわたって崇拝し続けていたという。
関宿藩(せきやどはん)(千葉県)久世氏の領地があった伏尾(堺市中区)を治める代官の息子として1868年1月、伏尾で誕生した鈴木。産土神は生まれた地の守護神で、その人が他所に移住しても生涯守護してくれると信じられている。鈴木は1936年の二・二六事件で銃撃され、瀕死の重傷を負った際「多治速比売命(たじはやひめのみこと)(多治速比売神社の主祭神)が枕元に立ち、命を救ってくれた」と語り、快復後に夫婦そろって同神社へお礼参りに訪れている。
その後、1945年4月に総理大臣に任命され、昭和天皇の側近として、戦争継続を主張する陸軍の反発をかわして、ポツダム宣言受諾、戦争終結に導いた。
多治速比売神社の摂社・金高(きんたか)稲荷社には、大正時代に本殿改築をした際に鈴木が奉納した玉垣がある。そこには「海軍中将 鈴木貫太郎」と当時の階級とその名が刻まれている。
Information
以下の情報は2023/06/09時点のものです
多治速比売神社(たじはやひめじんじゃ)
- 電話番号
- 072-297-0726
- 住所
- 堺市南区宮山台2-3-1
- 駐車場
- あり

