(郷土史家 檜本多加三<檜尾在住>)
上神谷の農民たちは、昔から働き者が多く、先祖から受け継いだ田畑を皆一生懸命耕していました。耕して耕して子や孫たちにバトンタッチできれば、やっと厳しい労働から解放されて、西方浄土とやらのあの世に行けると信じていたのです。
ところが、江戸時代に入って世の中が落ち着いたころ、堺や岸和田方面から上神谷を訪れる人が急に増えだし、上神谷の農民たちは首をひねるばかりでした。
堺の町衆に尋ねたところ、「アンタ知らんのかいな?摂津の能勢や河内の交野にある妙見さんと同じで、上神谷の富蔵妙見も生きている間に極楽を味わえるというんで来たんやがな」とのこと。
上神谷の人も、富蔵の村で、北極星や北斗七星に手を合わせる信仰が人気らしいとは耳にしていたものの、堺や岸和田どころか佐野や樽井、尾崎からも信者がやってくるのにビックリしました。そして、堺から仁徳さんの側を通り、北条、深井、小阪、伏尾、和田から上神谷に入る道が蟻の行列のように人であふれ、妙見道と呼ばれるようになりました。
もうその頃には上神谷の農民たちも「上神谷妙見」、「富蔵妙見」を知らない人はいなくなりました。そして堺からも西の和泉灘方面からも訪れる人たちによって街道ができ、道の途中に「妙見道」という道しるべまであちこちに建てられました。
妙見道は後に上神谷街道(東上神谷街道)と呼ばれ、上神谷の富蔵妙見は感応寺という寺院として今も残っています。


※樽井の「樽」は「木+尊」が正しい表記です。

Information
以下の情報は2025/12/25時点のものです
妙見山感応寺
- 電話番号
-
072-297-2153
(FAX:072-297-2566)
- 住所
- 大阪府堺市南区富蔵380

