(郷土史家 檜本多加三<檜尾在住>)
「オッサン、何してるんや」
「息子が受験で、どうしても合格して欲しいもんで…」
「それやったら家原の文殊さんに行かんかいな。昔、首相や海軍大将やった人の石碑を削ったらアカンがな」
「アカンのはわかってますけど、こんな受験の神様は他にあらへんとの話を聞いたもんやさかいに…」
「家原さんに行ったら、お金を出すとハンカチをくれるから、そこに合格祈願を書けば、誰にもおこられへんで」
久世の伏尾に立つ石碑の鈴木貫太郎は戦前、海軍の大将にのぼりつめ、昭和20年8月のポツダム宣言を受け入れた時の首相としても知られています。関東の関宿藩(久世藩)の泉北の飛地の代官所の子どもとして生まれたのでした。
しかし、時代は明治新政府となり、昔の徳川系の出身の者は出世しにくい世の中でした。とりわけ、陸軍と海軍のエリートになるには薩摩と長州出身でなければ絶対に無理と言われた時代でした。陸軍の幼年学校と海軍の兵学校の定員60人は薩摩と長州の出身者で満杯でした。
鈴木貫太郎は、普通の合格点なら、薩摩や長州の出身者以外は不合格となるのですが、その年のずば抜けた一位が鈴木貫太郎だったため、仕方なく薩摩と長州の出身者以外からの合格となったのです。そして二・二六事件で襲われながらも、「戦争終結」を実現させた首相としても大きな足跡を残しました。




