泉北高速鉄道、54年の歩み

投稿者 記者・ 髙見

1971年3月開業直前の泉ケ丘駅

1971年3月、開業直前の泉ケ丘駅。左下は泉北高速開業10周年記念のネクタイピン

4月1日から南海「泉北線」に

1971年の開業以来、泉北ニュータウン住民の交通を支えてきた「泉北高速鉄道」が、南海電鉄との経営統合により4月1日から南海「泉北線」に名称がかわる。

1971年4月、中百舌鳥〜泉ケ丘間が開通

泉北高速鉄道の誕生は1971年4月1日。中百舌鳥〜泉ケ丘間(7・8キロ)が開通した。開業当初から南海電鉄との相互直通運転を実施していた。当時の泉北ニュータウンの人口は約2万人。宮山台・竹城台・若松台は入居開始3年が経っていたものの泉北ニュータウンは開発途中だった。3年後の74年にパンジョ、髙島屋泉北店が開業し多くの人でにぎわった。73年12月7日に泉ケ丘〜栂・美木多間(2・4キロ)が開通し、翌週には駅前専門店ビルがオープンした。77年8月20日には栂・美木多〜光明池間(1・9キロ)が開通。泉北高速鉄道の計画路線だった中百舌鳥〜光明池間(12・1キロ)が全線開通となり、記念式典が行われた。この頃泉北ニュータウンの人口は12万人を突破。

完成間近の栂・美木多駅
完成間近の栂・美木多駅

 

1993年11月、和泉中央駅付近の工事
1993年11月、和泉中央駅付近の工事

1995年4月、和泉中央まで延伸

その後、開発計画中だったトリヴェール和泉(和泉ニュータウン)への延伸が決まり、95年4月に光明池〜和泉中央間(2・2キロ)が開通、現在の形となった。泉北高速鉄道は大阪府などが出資する第3セクターの大阪府都市開発株式会社が運営していたが13年大阪府が保有分の株式を売却して泉北高速を民営化する話が持ち上がった。外資系投資ファンドへの売却議案も上がるが府議会で否決され、最終的には14年に南海電鉄が大阪府などから株式譲渡を受けて泉北高速は南海電鉄のグループ会社となり民営化された。社名も泉北高速鉄道株式会社へと変更。22年には南海電鉄が全株式を取得し南海電鉄の完全子会社となった。

民営化後は運賃の値下げ、泉北ライナーの運行開始で乗車時間の短縮、駅のリニューアル、駅ナカの充実など鉄道の利便性や利用者へのサービス向上を図り利用促進に取り組んできたが、今後も持続した鉄道事業を運営するためにも経営の効率化が必要と今回経営統合に至った。

昨年12月から車両横の「SEMBOKU」の文字が「NANKAI」に、泉北高速鉄道の社章が南海電鉄のブランドシンボルにと順次変更され、南海「泉北線」への新たなスタートを切る準備が進んでいる。

泉北高速のアレコレ…

社章

泉北高速鉄道の社章は、泉北の「セ」、Railway(鉄道)の「R」、Velocity(高速)の「V」を示し、全体として大阪の鳥でもある「もず」を表現している。開業10周年時には記念品として泉北高速の社章入りのネクタイピンが作られた(=上写真)。

20周年記念「泉北グリーンロードラン」

泉北高速鉄道と本紙は1971年に開業、創刊した同い年。1991年に共に20周年を記念して、泉北緑道駅伝「泉北グリーンロードラン」を共同で開催した。260チームが参加。

開業当初の運賃

泉ケ丘〜深井=開業当初50円→現在220円、泉ケ丘〜中百舌鳥=開業当初60円→現在240円、泉ケ丘〜難波=開業当初150円→現在490円。

利用客(年間輸送客数)

1971年度(初年度:泉ケ丘まで開通)735万9千人、2023年度(中百舌鳥〜和泉中央)4342万2千人。

記事中に掲載されている情報は掲載日(2025年3月26日)時点のものです。

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