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泉北丘陵は古代、陶邑(すえむら)と呼ばれた日本で最古最大の須恵器生産地だった。
ニュータウン開発時に、須恵器(壺や甕<かめ>などの陶器)を焼いた窯跡がざっと500基も発見されたが、その中で最大規模の窯跡が大蓮公園内に保存されている。
陶邑で須恵器が焼かれるようになったのは4世紀末からとされている。
近年の調査により〝日本最古〞と判明したのが、大庭寺遺跡(おばでらいせき)の窯跡で発掘調査の後、埋め戻されている。
大蓮公園の復元窯跡は大きさがトップクラスだった。
この窯跡は「栂61号窯」の名から分かるように、元は原山台から庭代台にかけての丘陵上にあった。
昭和47年(1972年)に発掘されたが、泉北3号線の道路建設工事にひっかかって現地保存できず、樹脂加工で原寸模型をとって大阪府立泉北考古資料館があった大蓮公園に移された。
丘陵の斜面に築いた登り窯で全長13メートル、幅2メートル。
手前の平らな部分(焚口)で薪をたき、斜面に並べた須恵器を焼き上げる。焚口から最上部の煙出し穴まで、窯の構造がよく分かる。
6世紀末から7世紀前半のものとされている。
大蓮公園内の泉ヶ丘公園事務所とマンションとの間に、生け垣に囲まれて保存されている。
須恵器を展示していた考古資料館の建物は、2010年に堺市立泉北すえむら資料館になった後に閉館。
現在はカフェなど考古学とは無縁の建物となり、窯跡だけが残されている。