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太平洋戦争末期、日米両軍の激戦地となった硫黄島(小笠原諸島南端)。今も戦没者1万人以上の遺骨が地下で眠る。
21年に椎場光穂さん(光明台2丁目)、昨年に清水孝二さん(のぞみ野1丁目)が遺骨収集作業に参加した。
以前本紙で紹介した宮崎史郎さん(光明台2丁目)は、亡き父の遺骨を求めて10回以上訪島。
2人は宮崎さんからの意志を継いで、厚生労働省指定の一般社団法人日本戦没者遺骨収集推進協会が行う派遣団に参加した。
地下壕(ごう)や平地でツルハシやスコップを使って掘り、ザルで土砂をすくって調べる発掘作業。
夏は最高40度の亜熱帯気候のため、暑さと息苦しさを伴う地下壕での作業は過酷で、冬でも地熱のため非常に危険。
フィリピンで父を亡くした椎場さんは、21年11月から約2週間行われた作業に参加。19年に続いて2回目になる。作業中、14 柱の遺骨が見つかった。
また、昨年11月から約2週間参加した清水さんも地下壕などで掘削作業を行った。
地下壕の中から見つけた遺骨を明るい光が差す地上に出す時に、戦死者への思いや戦争の悲惨さを感じた清水さん。「長い間、暗い壕の中に眠っていたと考えると何とも言えない気持ちで胸がつまる」と。作業中に29柱の遺骨が見つかった。
遺族の高齢化、コロナ禍で派遣が中止されるなど作業は難航している。
「1体でも多く遺族のもとに返し、お墓にいれてあげたい。使命感を持って続けている」と椎場さん。