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戦友の遺骨収集を13回も
7月10日、大阪狭山市コミュニティセンターで、講演会「シベリア抑留を生きのびて」が開催された。
自身の壮絶な体験を語るのは、荒木正則さん(97歳・河内長野市南青葉台)。荒木さんは長らく抑留の話をすることはなかったが、会社を定年退職後、「あの悲劇を風化させてはいけない」と、これまで85回以上の講演と、そのほとんどが放置されたままの戦友の亡きがらを捜すため、92歳まで13回にわたりシベリア遺骨収集団に参加してきた。
荒木さんが旧満州の予備士官学校に在籍していた昭和20年、ソ連軍が突如満州に侵攻。荒木さんは250キロを徒歩で移動後、シベリアに強制移送され、約3年間、鉄道施設工事に従事させられた。零下60度の極寒の中、森林伐採などの過酷な労働が続いた。食事はわずかな黒パンと水のようなスープのみ。仲間が次々と飢えや病気で亡くなったが、処理作業が追い付かず、遺体は倉庫に山積みにされたままだった。常に銃で監視され、言葉が通じないため、トイレに行こうとしただけで不審者として射殺された。「奴隷のような日々だった」と、荒木さん。
講演会では、荒木さん自作のDVDも上演され、爆弾を抱えてソ連の戦車に特攻する日本兵や、やせ細った体で強制労働させられる様子などが映し出された。
荒木さんは、2年前に背骨を痛めてから杖が手放せなくなったが、講演中は時に写真パネルを持って立ち上がって大きな声で語り、来場者の質問にも予定時間をオーバーするほど熱心に答えた。「戦中生まれなので戦争のことは知っているつもりだったが、こんな悲惨な出来事があったとは」と、言葉につまる来場者も。
「命の続く限り、これからも語り続けます。それが残された私の使命」と、力強い声で語る荒木さん。地域・学校・イベントなど講演の依頼があれば、少人数でも語りに行く。問い合わせは荒木さん0721-64-1176
#河内長野市 #シベリア抑留 #戦争体験 #講演