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2015年までホームページ内に掲載していた「泉北ニュータウンの基礎知識」を再掲載しています。2023年1月加筆修正。
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若竹大橋【わかたけおおはし】
1)泉北高速鉄道をまたぎ、若松台と竹城台をつなぐニュータウン初の住区幹線橋として1969年完成。完成当時はアイボリーとブルーのツートンカラーで「機能美にあふれた橋」といわれた。全長57メートル、幅11.7メートル。橋の前後にあるランプウェーで泉北1号線に直結する。夕日の名所として知られる。車道と歩道の分離が不十分で危険との声があったが2006年の改修で歩道と車道の間に柵が設けられた。
2)南海バスの停留所名。泉ヶ丘発津久野行き路線にある。
若竹保育園【わかたけほいくえん】
→せんぼくわかたけほいくえん
若松温泉【わかまつおんせん】
若松台近隣センターにあった風呂屋。初期の府営住宅には風呂がなかったので、宮山台・竹城台・若松台の各近隣センターには大阪府によって風呂屋が誘致されたが、府営住宅に浴室が増設されるにともない、入浴客が減少、いずれも廃業した。若松温泉は1992年6月8日閉店。
若松台【わかまつだい】
昭和45年(1970年)4月に街びらきした。基本計画では「B住区」。古くは「若松之荘」と呼ばれていたことが地名の由来。当初計画戸数は2663戸。1丁~3丁からなり、面積86ヘクタール。2009年4月末現在2811世帯・6401人。住区内に若松台保育所、青英幼稚園、若松台小学校、若松台中学校、泉北高校がある。
若松台近隣センター【わかまつだいきんりんせんたー】
1975年(昭和50年)にオープン。近商ストアと専門店(10店舗のうち1区画は当初から空いたまま)などから成っていた。1987年(昭和62年)に植栽部分を削って来客用駐車場を新設したり、アーケードや通路を改造するなど、再整備された。1997年(平成9年)10月には、近商ストアが営業不振で閉鎖、2000年(平成12年)、跡地に店舗付き高層マンション「ローレルコート」(10階建て、59戸)が建設された。同4月、マンション1階にスーパー「サンエー新鮮館」がオープンしたが、翌年の2001年(平成13年)4月、1年余りで撤退した。以来、スーパーのない近隣センターとなっている。
薬局白十字、理容室のやかわ、ポール美容室、カフェレストランスリーA、いとう鍼灸整骨院などの個店がある。
若松台小学校【わかまつだいしょうがっこう】
若松台1丁3番1号に所在する堺市立小学校。昭和45年(1970年)に6クラス・178人でスタート。(09年5月1日現在、15クラス・418人。)
若松台中学校【わかまつだいちゅうがっこう】
昭和45年(1970年)4月、宮山台中学校に続き泉北ニュータウンで2番目の中学校として、若松台3丁34番1号に開校。初代校長・世良義和氏。校地面積34100平方メートル、校舎面積3279平方メートル。当初生徒数263名、教職員18名。旧泉ヶ丘西中学校の若松台・茶山台・上神谷3住区の生徒が移転してのスタートとなり、当初は「純粋に団地っ子といえるのは全体の約6分の1にあたる46人だけ」という状態だった。生徒数はピーク時(昭和61年頃)には1300人を超えていた。2013年5月現在は16クラス462人。校訓「協力・自主・礼儀」。俳優の永沢俊矢がここの出身。
若松台保育所【わかまつだいほいくしょ】
若松台1丁3番2号にある公立保育所。泉北ニュータウン草創期は保育所の設置が遅れ、各地で公立保育所をつくれとの運動が起こった。若松台でも昭和46年(1971年)に母親たちが熱心に陳情を繰り返し、その結果設置が認められた。昭和47年(1972年)9月、泉北第二保育所として開所(第一は宮山台)。それでも待機者が多く、母親たちが共同で集会所を借りて共同保育に踏み切るという一幕もあった。定員120人。生後57日目から入所可。
ワシントンヤシ【わしんとんやし】
ヤシ科の植物。ワシントニアパーム。ヤシの中でも熱帯ではほとんど生育せず、温帯・亜熱帯で生息する。泉北ニュータウンでも泉ヶ丘駅前の街路樹としておなじみ。ただし、全国的にはヤシの木の街路樹は少数派と思われる。荒山公園にも亜熱帯の樹木を集めた一角があり、当時は亜熱帯ブームだったのだろうか?
和田川【わだがわ】
堺市南部に発し、栂地区と光明池地区の間を流れ、下水処理場あたりで石津川と合流、大阪湾に注ぐ。陶器川、妙見川、甲斐田川などと二級河川「石津川水系」を構成する。流路延長8422m。