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2015年までホームページ内に掲載していた「泉北ニュータウンの基礎知識」を再掲載しています。2023年1月加筆修正。
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- 1 ま
- 2 み
- 2.1 御池公園【みいけこうえん】
- 2.2 御池台【みいけだい】
- 2.3 御池台近隣センター【みいけだいきんりんせんたー】
- 2.4 御池台小学校【みいけだいしょうがっこう】
- 2.5 御池台保育園【みいけだいほいくえん】
- 2.6 御池台幼稚園【みいけだいようちえん】
- 2.7 美木多小学校【みきたしょうがっこう】
- 2.8 美木多団地【みきただんち】
- 2.9 美木多中学校【みきたちゅうがっこう】
- 2.10 美多彌神社【みたみじんじゃ】
- 2.11 三丘の塔【みつおかのとう】
- 2.12 三ツ割池【みつわりいけ】
- 2.13 緑の巨人【みどりのきょじん】
- 2.14 みどりのつどい【みどりのつどい】
- 2.15 皆様温泉【みなさまおんせん】
- 2.16 南区【みなみく】
- 2.17 南堺警察署【みなみさかいけいさつしょ】
- 2.18 南消防署【みなみしょうぼうしょ】
- 2.19 南図書館【みなみとしょかん】
- 2.20 みなみ花咲くまちづくり推進事業【みなみはなさくまちづくりすいしんじぎょう】
- 2.21 南保健所【みなみほけんしょ】
- 2.22 南保健センター【みなみほけんせんたー】
- 2.23 南老人福祉センター【みなみろうじんふくしせんたー】
- 2.24 三原公園【みはらこうえん】
- 2.25 三原台【みはらだい】
- 2.26 三原台近隣センター【みはらだいきんりんせんたー】
- 2.27 三原台小学校【みはらだいしょうがっこう】
- 2.28 三原台中学校【みはらだいちゅうがっこう】
- 2.29 三原台保育園【みはらだいほいくえん】
- 2.30 宮ノ上公園【みやのうえこうえん】
- 2.31 宮前橋【みやまえばし】
- 2.32 宮山公園【みややまこうえん】
- 2.33 宮山台【みややまだい】
- 2.34 宮山台近隣センター【みややまだいきんりんせんたー】
- 2.35 宮山台小学校【みややまだいしょうがっこう】
- 2.36 宮山台第4住宅【みややまだいだいよんじゅうたく】
- 2.37 宮山台中学校【みややまだいちゅうがっこう】
- 2.38 宮山台保育所【みややまだいほいくしょ】
- 2.39 宮山台幼稚園【みややまだいようちえん】
- 2.40 みんなのマーケットるぴなす
- 3 も
ま
槇塚公園【まきづかこうえん】
槇塚台2丁41番に所在する公園。昭和52年3月に完成。3.1ヘクタール。
槇塚台【まきづかだい】
昭和47年(1972年)4月に街びらきした。基本計画では「H住区」。陶器山七不思議の一つである黄金塚(現在の1丁府営20棟近く)があったため、その巻き物の巻を槇ともじったといわれている。当初計画戸数は3213戸。1丁~4丁からなり、面積103ヘクタール。2009年4月末現在3066世帯・7165人。住区内に槇塚台保育園、槇塚幼稚園、槇塚台小学校、晴美台中学校があるほか、桃山学院教育大学(元・プール学院大学)がある。
槇塚台近隣センター【まきづかだいきんりんせんたー】
昭和47年(1972年)4月29日、晴美台近隣センターと同時にオープン。
泉ヶ丘地区の近隣センターの中で最も規模が大きく、これは槇塚台が東西に長いので、最初から晴美台・槇塚台両方の住民が利用できるよう設置されたため。泉北5号線(堺市道としては三原台・槇塚台線)をはさんで一方に近商ストア、向かい側に独立店舗が設置され、そのふたつが2本の歩道橋で結ばれている。このスタイルは千里ニュータウンではあったが、泉北ではここだけという。近商ストア槇塚台店はその名に反して住所は晴美台というややこしいことになっているが、もともとここは「晴美台&槇塚台センター」なのだと思えば、なんとなく納得できるというものである。
昭和52年(1977年)4月には道路を隔てた向かいに生鮮品中心の市場「ユニオンマート」が開店したが、平成3年(1991年)に閉店した。ユニオンマート跡には04年、有料老人ホーム「フローレンス泉ヶ丘・槇塚台」がオープンした。
2011年5月に「泉北ほっとけないネットワーク」による配食サービスが始まり、10月には槇塚台レストランがオープンした。2012年3月にはASUの会がまちかどステーションを開設した。
歩道橋は2018年に撤去された。
槇塚台小学校【まきづかだいしょうがっこう】
槇塚台3丁。昭和47年(1972年)5月に、職員13人、児童97人でスタート。初代校長・檀野寛氏。児童数はピークには1000人を超えたが、2010年5月1日現在、15クラス・409人。
松城橋【まつしろばし】
1972年、若松台1丁府営住宅住民からの要望を受けて建設された歩行者専用の陸橋。全長142メートル。泉北高速をまたぎ、竹城台3丁とを結ぶ。当時、同地区の住民は近商ストアや風呂屋に行くのに防犯灯のない谷間をくぐらねばならず、不便だった。また、津久野行きのバス停が竹城台3丁にあったことから、橋があれば、と考えられた。歩行者専用橋ではあるが、凝ったデザインのりっぱなもので、陸橋のイメージを超えたもの。橋上からの眺めがよく、散歩コースにグッド。市道ではなく緑道の一部で、公園事務所の管理。大蓮公園からこの橋を通って竹城公園まで、緑道が続くことになった。
まつむし橋【まつむしばし】
西原公園から続く緑道の途中、桃山台1丁・2丁・3丁・4丁の境目にある陸橋。橋の手前には遠くからでも見える雇用促進事業団栂宿舎、北詰には近隣センター、医療センターがあり、付近は桜の名所。
まなび野橋【まなびのばし】
和泉市まなび野の桃山学院大学構内にあるつり橋。和泉シティプラザのそばのトンネルから続く道を歩いていくとこの橋につながる。旧キャンパス(堺市西野)にあったアンデレ橋(いまもありますが)をリメイクしたといわれる。
まなびの緑化センター【まなびのりょっかせんたー】
和泉市まなび野2番4。桃山学院大学に隣接する宮ノ上公園内にある。「みどりの相談窓口」があるほか、みどりに関する作品展示を行ったりイベントや教室を開催。みどりのふれあいルームにはキッズルームもある。
まんりょう橋【まんりょうばし】
城山公園近く、城山台1丁にある陸橋。
み
御池公園【みいけこうえん】
御池台2丁に所在する公園。昭和55年(1980年)に整備された。面積72,000㎡。公園内に釣り池の田池がある。
御池台【みいけだい】
昭和54年(1979年)4月、新檜尾台とともに泉北ニュータウンで最も遅くに街びらきした住区。基本計画では「L住区」。地名の由来は、住区にあった御池山。当初計画戸数は2500戸。1丁~5丁からなり、面積130ヘクタール。2009年4月末現在3451世帯・9765人。住区内に御池台保育園、大阪芸大附属泉北幼稚園、御池台小学校がある(中学校は庭代台中学校)。また、4丁にあった上神谷高校跡地には2009年4月に上神谷支援学校が開校した。南端の5丁には老人福祉センターや老人ホームがある。
御池台近隣センター【みいけだいきんりんせんたー】
昭和54年(1979年)の御池台入居開始と同時にオープンした。当初中心になっていたのは対面販売の「ショッピングセンター御池」だったが、1995年にスーパー形式に転換。名称も「味彩の郷フローリー」とした。他に薬局(ナンバーワン薬局)、喫茶店(エリカ)、食堂(きた寿司)、本屋(みいけ書房)、ベーカリー(サカグチ)などがある。
御池台小学校【みいけだいしょうがっこう】
御池台2−3−1に所在する堺市立小学校。御池台の街開きにともない、昭和54年(1979年)4月創立。初代校長・上埜光司氏。児童数はピーク時には1000人を超えていたが、2013年5月現在22クラス670人。
御池台保育園【みいけだいほいくえん】
御池台1丁26番1号。御池台近隣センターのすぐそばにある保育園。社会福祉法人まほろば運営。1980(昭和55)年4月開園。生後3か月から入園可。定員120人。
園の外周斜面は花壇で美しく彩られ、地域の人からも好評。
御池台幼稚園【みいけだいようちえん】
昭和54年(1979年)4月、御池台3丁4番1号に開園。学校法人宝泉学園が経営。園舎はヨットをイメージした斬新なデザインで、「大阪ミュージアム」のまちなみ部門ベストセレクションの一つとして登録されている。温水プールあり。未就園児のためのキラキラコース、Smile Kids、幼稚園あそびが設けられている。
美木多小学校【みきたしょうがっこう】
鴨谷台1丁48番1号に所在する堺市立小学校。
1872年(明治5年)、美多弥神社境内に設置された「郷学校」が1873年(明治6年)学制により堺県泉州第十五番小学校分校となったのがはじまり。その後1874年には堺県泉州第十六番小学校となり、1875年に大鳥郡上村小学校、1887年に大鳥郡上村尋常小学校、1888年に大鳥郡上村簡易小学校、1893年に再び大鳥郡上村尋常小学校、1896年に泉北郡上村尋常小学校、1913年高等科を設置して泉北郡美木多尋常高等小学校に。戦時下の1941年には泉北郡美木多国民学校となり、そして1947年に美木多村立小学校となった。その後1956年に福泉町立第三小学校、1961年に堺市立美木多小学校となって現在に至る。
当初は美多弥神社前にあったが1975年に現在地に移った。
鴨谷台のほか大森、別所、そして檜尾と美木多上の一部を校区とする。児童数はピーク時には1000人を超えたが、2009年5月1日現在、23クラス・682人。
美木多団地【みきただんち】
泉北ニュータウンができる前から現在の鴨谷台1丁にあった、雇用促進住宅・美木多団地のこと。約200世帯。昭和39年に建設。ニュータウン開発途上の写真には、整然と並んだ住宅群がまるで孤島のような様子で写っている。
その後、ほとんどの世帯では建て替えや増築が行われ、ごく一部に当時の面影が残るだけとなっている。
美木多中学校【みきたちゅうがっこう】
鴨谷台1丁47番1号に所在する堺市立中学校。昭和22年(1947年)4月、美木多村立中学校として開校。昭和31年(1956年)10月、福泉町立美木多中学校と改称、昭和38年4月、いったん廃校となり、新設された福泉南中学校に移動となる。昭和52年(1977年)4月1日、鴨谷台誕生にあわせ、福泉南中学校から分離して、現在地に創立された 。
生徒数のピークは平成2年(1990年)で1,125人。2010年5月現在の生徒数は15クラス・492人。校訓「信愛・誠実・自律」。通学区域は城山台、鴨谷台、大森、別所、檜尾(一部)、美木多上(一部)。
美多彌神社【みたみじんじゃ】
堺市南区鴨谷台1-49-1(バス「城山台1丁」下車)に所在する神社。
祭神は天児屋根命(あまのこやねのみこと)。商工業の福の神として信仰され、楠木正成一族の守護神であった。戦国時代に織田信長の兵火に焼かれ、現在の本殿と拝殿は昭和47年(1972年)に改築された。境内を取り囲む「シリブカガシ(いっちん=ブナ科)の森」は太古の大阪平野に繁殖していた原生林で、天然記念物に指定されている。
毎年初詣やとんど(厄除けぜんざいがふるまわれる)にはニュータウンの住民もたくさん訪れる。
秋祭りには中山、上北、檜尾、大森からだんじりが宮入する。
三丘の塔【みつおかのとう】
泉ヶ丘駅前の噴水に設置されているモニュメント。
泉北ニュータウン開発20周年を記念して設置され、昭和61年11月2日の「泉北20年まつり」閉幕式で除幕された。
高さ9メートル。制作は彫刻家の白石正義氏。塔の中央、16個のハチの巣穴様の造形はニュータウン16住区を、3本の柱は泉ヶ丘・栂・光明池地区を表し、「21世紀にかけての発展と安らぎに帰ってくる町としてのシンボル」を表現している。
時計は太陽電池で動く。時計の上に「まつ毛がある」ように見えるのはハト除けの針金である。
2014年8月、泉ヶ丘駅前噴水広場などが府タウン管理財団から南海に売却され、2016年1月、噴水広場リニューアルのため、三丘の塔は撤去された。
三ツ割池【みつわりいけ】
晴美台3丁の晴美公園内にある。満水時の面積0.6ha。
「堺市史」の「三ツ割池来歴」によると、明治8年(1771年)、晴美公園の中心に造られた。当時、この辺りは高蔵村といい、高蔵と辻之両村の共用水となっていたのが現在の高倉公園にある山田池。また、辻之・上之両村の共用水は三原台4丁の戌の坊池やビッグバン近くのにごり池だった。が、どの池も水不足になりがちで、水利争いが絶えなかったため、高蔵村、上之村、辻之村の共用かんがい用池として造られたのが「三ツ割池」だ。つまり3つの村で水利を分け合うという意味で「三ツ割池」と名付けられた。昭和50年、企業局がこの池を釣り堀にする計画を打ち出したが、地元住民の反対により、立ち消えとなった。
緑の巨人【みどりのきょじん】
1992年5月のトリヴェール和泉の街開きと同時に和泉中央駅前の小高い丘に設置された。
高さ3メートル、幅3.5メートル。丘の上にドカッと座り、夜になると立ち上がって歩いている、などとうわさされ、親しまれる存在だったが、10年の年月を経て、ラワン製の巨体が朽ち始めたのと、同場所への病院建設を控え、2003年4月、撤去された。
撤去直後、跡地には「いままでどうもありがとう」と、緑の巨人からの「退任あいさつ」の看板が立っていた。
みどりのつどい【みどりのつどい】
ニュータウンで活動するサークルや団体が一堂に集まって日頃の活動をアピールするとともに地域住民との交流を楽しむイベント。
第1回目は昭和54年(1979年)5月3日、泉ヶ丘の大蓮公園や展望台周辺で開催、以後毎年春に大蓮公園で開催されることになった。本紙は当初から裏方として、また一参加団体としてつどいに参加したが、みどりのつどい自体はあくまでも参加者みんなが主催者、誰が主催者でもないという考えで貫かれ、事前に何度も集まっては企画から練り上げていった手作りのまつりであった。
つどいは回を重ねるごとに参加団体も徐々に増え、作品展示からパフォーマンス、フリーマーケットなど多彩な内容の恒例行事として地域にも親しまれてきたが、世話役らの苦労が多いことなどから平成11年(1999年)の20周年を機に休止することに。
その後、平成18年(2006年)にすまいるセンターの呼びかけで復活、場所を栂の西原公園に移して8年ぶりに再開した。
平成21年(2009年)は豚インフルエンザ感染拡大を懸念して、中止に。2010年は雨の中、開催された。
2021年は新型コロナウイルスで中止したが、2022年は飲食のみ開催。
皆様温泉【みなさまおんせん】
竹城台近隣センタ-にあった風呂屋。初期の府営住宅には風呂がなかったので、宮山台・竹城台・若松台の各近隣センターには大阪府によって風呂屋が誘致された。皆様温泉もそのひとつで、竹城台の街びらき(1969年3月)とともに開設。しかし、1978年9月に突然休業、翌79年にはスーパー(サンストア)になってしまった。この背景には竹城台で当時、新住法が時効を迎え、転売や業種変更が自由になったことがある。風呂のない住宅の住民たちのために府は竹城台3丁に「竹城温泉」を建設、運営は住民たちにまかせるという方式をとった。なお、皆様温泉の跡地にできたスーパーもその後閉店、跡地には2000年にマンションが建設された。
南区【みなみく】
堺市が2006年に政令指定都市に移行すると同時に誕生した7つの区のひとつ。(実際はその前から支所建設と平行して、支所区域名として使い始めたが) 泉北ニュータウンはこの中に含まれる。 区の名称が決まるまでは「長年親しんで来た泉北の名を残すべきだ」というだけでなく、「東西南北ではまったく没個性」「まるでマージャンパイ」と反対の声も多かったが(「泉北区」の項=「せ」のページ参照)、それらはことごとく無視され、南区という、まったく地域の歴史も個性も感じられない名前になってしまった。
初代区長は古川洋子さん。区のキャラクターは「みみちゃん」。
2011年9月1日現在の人口153,977人。面積40.44平方キロメートル
南堺警察署【みなみさかいけいさつしょ】
平成元年4月1日、府警62番目の警察署「泉北警察署」として開設された。管轄区域はニュータウン全域と泉田中、岩室、大庭寺、小代、逆瀬川、栂、富蔵、豊田、野々井、畑、桧尾、鉢ヶ峯寺、別所、美木多上、三木閉、和田で、それまで堺南警察署が管轄していた区域を二分したもの。運転免許の申請や車庫証明の申請、交通事故・盗難・遺失等の届け出などの事務や警察業務を行う。所在地は桃山台2丁2番1号。政令市に移行した堺市の区名に整合し、平成20年4月(2008年)、泉北署から南堺署に改称。
南消防署【みなみしょうぼうしょ】
原山台1丁14番1号に所在。1979(昭和54)年4月に「泉北消防署」として業務開始。敷地面積4138平方メートルに鉄筋コンクリート2階建ての庁舎と7階建ての訓練棟がある。それまで泉北ニュータウンは鳳消防署が受け持っていたが、ニュータウンの人口増にともないマンモス化したので2つに分割したもの。当初の管轄区域は泉北ニュータウンと周辺地域あわせて44平方キロ、人口15万人余りであった。
平成16年(2004年)4月、堺市が政令指定都市移行を前に、消防署の名称も支所区域名にあわせるよう要望、泉北消防署から南消防署に改称され、管轄区域も堺市の行政区域に合わせて変わった。本署は原山台1丁(管轄は片蔵、豊田、泉田中、栂、鉢ヶ峯、美木多上、別所、原山台、庭代台、御池台、鴨谷台、城山台)。稲葉1丁にある福泉出張所は大庭寺、小代、太平寺(一部)、稲葉、高尾、三木閉、野々井、檜尾、大森、桃山台、赤坂台、新檜尾台を管轄。茶山台1丁の茶山台出張所は富蔵、釜室、畑、逆瀬川、宮山台、竹城台、若松台、茶山台、三原台、高倉台、晴美台、槇塚台、和田、岩室、土佐屋台、深阪南、和田東を管轄。
09年は管内で火災が56件発生、救急車は7735回出動した。
南図書館【みなみとしょかん】
<概要>
茶山台1丁7番1号に所在する堺市立図書館。泉ヶ丘市民センターの2、3階が図書館で、2階(1632平方メートル)が一般書、児童書の書架とカーペット敷きの絵本コーナー、貸し出し事務室、郷土資料室と対面朗読室、ビデオ視聴室。3階(1608平方メートル)が300人収容のホールと、集会室(60人と40人の2室)、お話し室、ロビー、となっている。もとは「泉ヶ丘図書館」であったが、堺市が支所区域名にあわせるよう既存の施設の名称を次々に変更、2005年に現在の名称となった。2009年3月末で蔵書数約22万8千冊。栂文化会館内に栂分館、鴨谷体育館内に美木多分館がある。
<歴史>
図書館開設に関しては1973年に「泉ヶ丘に図書館をつくる会」(会長・吉田醇一氏=多治速比売神社宮司)が発足、主婦を中心に広く住民をまきこんだ運動となり、まず1975年4月、若松台近隣センター内の集会室を暫定的に利用した「泉ヶ丘図書室」というかたちで成果をみた。毎週水・土の2回オープン、丸太を利用したイスやテーブル(いまも南図書館のお話し室に残っている)が並び、運営は主婦らが交代で、という手作り図書館であった。この図書室は大盛況となり、改めて本格的な図書館の建設を求めて運動が繰り広げられ、1977年には泉ヶ丘駅前の現在の地に建てられることが正式決定。1980年に、図書館を中心に身障者や老人集開所を備えた現在の泉ヶ丘市民センターの概要が定まった。昭和58年(1983年)に完成、7月1日オープン。いちおうの役目を果たしたとして「泉ヶ丘に図書館を作る会」は1981年に解散した。オープン当初の蔵書は65,000冊、1年後は9万4千冊。オープン後1年間の貸し出し冊数87万8千冊、実に1冊平均9.4回も貸し出されたことになり、他の図書館と比べても利用率の高さが目立った。
<開館時間>
開館はオープン当初は火~土曜日が10時~7時半、日曜が9時~12時。月曜・祝日、年末年始と月末の整理日が休みだったが、もっと長く開館してほしいとの要望が強かった。その後1985年4月から、日曜午後も開館。1997年12月からは定休日だった第3日曜を開館し、祝日も土日と重なった場合は開館し、原則的に「土日はいつでも開館(ただし5時まで)」となった。さらに2010年4月からは祝日も開館。開館時間も平日は10時~8時、土日祝が10時~6時となった。
みなみ花咲くまちづくり推進事業【みなみはなさくまちづくりすいしんじぎょう】
2000年8月、南支所(当時)地域推進課の提案で始められた、街を花いっぱいにしようという事業。堺市が各支所ごとに600万円ずつ予算化した「魅力ある地域づくり事業」のひとつとして提案されたもの。校区単位で花づくりの有志のグループを結成してもらえば、活動に必要な種子や苗、土、肥料などは無償で提供しようという仕組み。これに応じて竹城台の「たけしろ花くらぶ」、桃山台の「花咲かそう会」など各地で園芸のボランティアクラブが誕生、活発に活動を展開している。
南保健所【みなみほけんしょ】
↓南保健センター参照
南保健センター【みなみほけんせんたー】
旧泉北保健所。桃山台1丁1番1号、南区役所内にある。
泉北ニュータウンでは人口が7万人を超えたころでもまだ保健所がなく、泉ヶ丘センタービル内に設けられた鳳保健所の泉北分室が業務をこなしていた。広さわずか200平方メートル、保健婦6人、事務員1人というもので、予防接種の際など数百人が殺到して一部はベランダで順番待ちというありさまだった。こうした現状にたまりかねて保健所建設要求が高まったものの、やっと建設が決まってからも財政難などで遅れ、竹城台1丁6番1号の地に開所したのは1978年(昭和53年)4月だった。
泉北保健所は敷地約3300平方メートル、鉄筋コンクリート2階建て、のべ床面積1600平方メートルで、当時の市内では有数の大型保健所となった。
その後、1997年には支所区域名にあわせて南保健所と改名、2000年から南保健センターとなった。さらに2014年には南区役所内4階に移転、1月6日から業務を開始した。
母子健康手帳の交付、妊婦教室、乳幼児健診、がん検診、各種予防接種など保健衛生業務を行う。
南老人福祉センター【みなみろうじんふくしせんたー】
堺市立の老人福祉施設。旧せんぼく苑。御池台5丁2番7号。御池台の東端、ハーベストの丘近くにある。
昭和48年(1973年)、同地区に市の第二清掃工場を設置するのに地元住民の強い反対があったため、その付帯設備としてゴミ焼却の余熱を利用した施設を建設したもの。鉄筋二階建て、敷地約2600平方メートル。他地区の老人福祉センターにも浴場はあるが、ここの浴場が一番広く、庭園で囲まれ、眺望も良い、と人気である。1日あたり200人以上が利用するといわれる。浴場のほか大広間や娯楽室などもあり、いずれも60歳以上の堺市民は無料で利用できる。趣味クラブやサークル活動もさかんに行われ、多くのお年寄りでにぎわっている。週3日、ニュータウン各地と同センター、南区役所を結ぶふれあいバスも運行している。
アクセス:ふれあいバスのほか南海バスでは「御池台5丁」下車。
072-299-3232 9時~5時15分。日祝休み(敬老の日は開館)
三原公園【みはらこうえん】
三原台1丁13番に所在する公園。当初、上之公園と呼ばれていたが、昭和46年、三原公園と改称。西側に正八角形のグラウンドがあり、少年野球のメッカに。グラウンドを囲むように散策路が通る。面積27,000㎡。
三原台【みはらだい】
泉ヶ丘地区の北東部に位置し、上之、辻之、陶器などと接する住区。基本計画では「C住区」。地名の由来は、開発前までは「三田原」と呼ばれていたことから。他に美園、桐山といった候補もあった。当初計画戸数は5900戸。1丁~4丁からなり、面積136ヘクタール。かつてはヤングタウンを抱え、ニュータウンの中でも20代の人口が多い特殊な住区であった。ヤングタウンがなくなったあと、マンション建設が進み、人口が増えている。1丁3番の府営住宅は管理戸数1600戸を超える泉北一の大規模府営団地。
2009年4月末現在5607世帯・13292人。
三原台近隣センター【みはらだいきんりんせんたー】
昭和46年(1971年)オープン。核店舗は当初三原台市連マーケット。1986年10月、リニューアルでセルフ方式の「サミット三原」となったが1998年7月に閉店。その後空白期間を経て同年10月にパスト三原台店がオープン。現在はサンプラザ三原台店となっている。個店は寿司よし、木下鍼灸整骨院、三原薬局、美容室のビューティアキコなど。
三原台小学校【みはらだいしょうがっこう】
三原台3丁2番1号に所在する堺市立小学校。昭和46年(1971年)4月に241人でスタート。ニュータウンで4番目、堺市内で54番目の小学校だった。初代校長・岡本秀夫氏。児童数はピーク時には1500人を超えたが、2009年5月1日現在、28クラス・819人。
三原台中学校【みはらだいちゅうがっこう】
三原台1丁12番1号に、昭和46年(1971年)4月1日、ニュータウン3番目の中学校として開校。初代校長・塩田行雄氏。開校当時の生徒数は52名で、その後年々増加し、ピーク時には1400人を超えた。2009年5月1日現在、17クラス・550人。通学区域は三原台、高倉台。出身者にシンガーソングライターの山根康広。
三原台保育園【みはらだいほいくえん】
昭和48年(1973年)5月、堺市立三原台保育所として三原台3丁1番15号に開所。平成13年(2001年)4月に民営化され、社会福祉法人白水福祉会に移管。平成17年(2005年)11月、老朽改築・増築完了、駐車場増設、屋上にプール設置。城山台保育園の姉妹園。なぎなた教室「ドロップス」がある。生後57日目から入園可。
宮ノ上公園【みやのうえこうえん】
まなび野2番にある公園。面積5.4ヘクタールで、トリヴェール和泉の中にある公園では最も大きい。いずみの国歴史館やまなびのプラザ緑化センターが園内にある。木製アスレチックや遊具もあり。
宮前橋【みやまえばし】
泉北北線をまたぎ、荒山公園(多治速比売神社を含む)と宮山台3丁をつなぐ橋。あかしや橋とかもみのき橋などの緑道の橋は公園事務所が管理しているが、ここは堺市土木課が管理。ネーミングもちょっとちがう。
長い間さびてボロボロのまま放置され、住民からの苦情も耐えなかったが、2009年12月に約40年ぶりに塗り替えられた。
宮山公園【みややまこうえん】
足谷池を中心に広がり、東南の隅に休憩所、南と西側に広場がある。広場を囲むように桜が植栽されている。隣の荒山公園とはあかしや橋でつながる。昭和45年(1970年)開設、面積34,000㎡。
宮山台【みややまだい】
泉北ニュータウンで最も早く入居が始まった住区。基本計画ではA住区。一番目ということから、名前を決める際はかなりの紆余曲折があったらしく、まず候補として八重垣町、鶴ケ丘町、和光町、八重園町、八代町、千種町、八代台、錦華台、松園北町、美芳台、松白台などがあがり、入居1年前の昭和41年に芦谷台が有力になったもののこれも廃案になり、その年の年末、地区内にある多治速比売(たじはやひめ)神社にちなんで、やっと宮山台と名付けられた。この段階でも「宮野台」「宮之台」も検討されていたという。
1丁~4丁からなり、面積85ヘクタール。2009年4月末現在2341世帯・5558人。
宮山台近隣センター【みややまだいきんりんせんたー】
昭和43年、泉北ニュータウンで初めてオープンした老舗の近隣センター。市連マーケットを核に、店舗付住宅などから成る。市連マーケットは対面販売方式でスタートしたが、売上が伸び悩み、セルフ式のスーパー「ニューライフ宮山」に。平成5年(1993年)には、全面改築し、翌年4月2日、「ニューライフ愛彩館」と名前もリニューアルし、オープン。夜11時まで営業したり、駐車場を整備するなど、経営努力はしたが、不景気や近隣での競合店進出により、売上が落ち込み、2001年10月閉店。その約10か月後に再開したが、2003年7月末、閉店した。その後、スーパーの出店はなく、長くリサイクルショップが入店していたが、それも現在は閉店した。
宮山台小学校【みややまだいしょうがっこう】
堺市南区宮山台2丁2番1号に所在する堺市立小学校。ニュータウンで最初に設置された。初代校長・北林義清氏。昭和42年(1967年)、67人でスタート。09年5月1日現在、19クラス・501人。
かつて堺市内のあちこちに見られた灌漑用の風車が校庭に立っている。
宮山台第4住宅【みややまだいだいよんじゅうたく】
宮山台4丁3番に所在する府営住宅の団地。27棟701戸。昭和42年12月、泉北ニュータウン入居第一陣がここに入った、泉北で最も古い団地である。建て替え計画も泉北で最も早く決まり、一部の棟を取り壊して高層に建て替えることが決まった。これに基づき10棟と11棟では2010年中に入居者の移転も終わっていたがその後計画の見直しで宙ぶらりんのままストップしていた。2014年になってやっと予算がつき、9月から空き2棟の撤去、その後高層住宅建設が行われることになった。
宮山台中学校【みややまだいちゅうがっこう】
宮山台1丁1番1号に所在する堺市立中学校。昭和44年(1969年)1月8日、2学級・生徒数23人でスタート。略称「みやちゅう」。ニュータウンで1番最初に開校した。初代校長・松林寛氏。校訓「自主・協同・信愛」。09年4月現在17学級・573人。通学区域は竹城台、土佐屋台、深阪南、宮山台、和田(一部)、和田東。出身者に格闘家の武蔵とプロ野球選手の藤浪晋太郎がいる。
宮山台保育所【みややまだいほいくしょ】
堺市立の保育所。昭和47年6月開園。宮山台1-5-1。受入年齢:57日目~小学校就学児未満
宮山台幼稚園【みややまだいようちえん】
昭和43年(1968年)宮山台4丁に開園。学校法人奥野学園が経営。教育方針は「元気な子」「考える子」「思いやりのある子」。温水プール完備。課外教室として水泳や体操、バトン、バレエ教室がある。
みんなのマーケットるぴなす
高倉台近隣センター内にあるスーパー「オールワン」の撤退後、2015年6月12日にオープン。「るぴなす」は公募で決定。
買い物弱者支援と障害者就労支援を目的とする「たかくら福祉ステーション」である。
も
もくれん橋【もくれんばし】
槇塚台1丁(医療センター近く)と2丁をつなぐ陸橋。
もっこく橋【もっこくばし】
竹城台1丁1番にある児童公園と2丁のUR団地を結ぶ橋。
もみじ橋【もみじばし】
若松台近隣センターのそばにある陸橋。若松台3丁と2丁を結ぶ。
もみの木橋【もみのきばし】
泉北北線をまたぎ、宮山台小学校と宮山台医療センターをつなぐ陸橋。
桃山学院大学【ももやまがくいんだいがく】
和泉市まなび野1番1号に所在する大学。
国際教養学部、社会学部。法学部、経済学部、経営学部の5学部を持つ総合大学。学生数約7000人。創建は1959年。
トリヴェール和泉(和泉ニュータウン)の東部ブロックをはつが野とともに形成する「まなび野」の主要部分を占める。1995年4月、泉北高速鉄道の和泉中央延伸とともに堺市西野から移転。それまでは堺市〜大阪狭山市にまたがる12.8万平方メートルにキャンパスをかまえていたが、この土地を売却、この売却資金で新キャンパス(14.4万平方メートル)を建設した。ちなみに旧キャンパスは現在、初芝立命館中・高校、はつしば学園小学校が移転、使用している。
現在のキャンパスは広い敷地にレンガ色を基調にした10数棟の建物(それぞれ聖アンデレ館、聖トマス館など聖人の名がつけられている)とチャペルが配置され、緑とあいまって美しい。クリスマスシーズンにはイルミネーションも施される。
桃山台【ももやまだい】
昭和47年(1972年)4月に街びらきした。基本計画では「I住区」。地名の由来は、開発前までは、丘陵一帯に桃が栽培されていたことから。当初計画戸数は3611戸。1丁~4丁からなり、面積118ヘクタール。2013年12月末現在3691世帯・8052人。住区内に竹宝保育園、桃山台小学校、福泉中央小学校、福泉南中学校、堺西高校がある。
桃山台近隣センター【ももやまだいきんりんせんたー】
昭和47(1972)年8月、桃山台の入居開始とともにオープン。敷地面積約11000平方メートル。核店舗として桃山台市連マーケット(2階建て)、住宅付き独立店舗13、郵便局などでスタート。その後1992年に市連マーケットは「ジョイフルももやま」となり、略して「ジョイもも」と言われたりして親しまれていたが、99年のリニューアルで対面販売からスーパー形式になり名前も「スーパーQA」となった。ほか、清城堂書店、イズミ薬局、西上無線などが個店として軒を連ねる。
桃山台小学校【ももやまだいしょうがっこう】
昭和47年(1972年)、栂地区では初の小学校として開校した堺市立小学校(9月1日開校式)。南区桃山台2丁6版1号。初代校長・中林信雄氏。敷地面積28800平方メートル。児童数はピーク時には1000人を超えていたが2009年5月1日現在、8クラス・208人。