か行【泉北ニュータウンの基礎知識・復刻版】

投稿者 コミュニティ

この記事は公開日から1年以上経過してるため情報が古い可能性があります。

2015年までホームページ内に掲載していた「泉北ニュータウンの基礎知識」を再掲載しています。2023年1月加筆修正。

まちがい等ありましたらご連絡ください。>>コミュニティ編集部

目次

会場前【かいじょうまえ】

かつて南海バス泉ヶ丘~鉢ヶ峯線にあったバス停の名前。現在の「コスモス館前」。

当時から「会場前って、なんの会場前なんですか?」「かいじょうまえ?斎場前?」等多くの人々の疑問をあおった名称であったが、これは昭和10年頃、そのあたりに「鉢ヶ峯寺会場」(約30畳)があったことに基づく。住人らがお金を出し合って建てたもので、行事の打ち合わせや寄合に利用していた。それがバス停名の由来である。

その後、昭和46年(1971年)に「会場前」から500mほど離れた「鉢塚」バス停前に鉢ヶ峯寺町会館を建設。「会場前」には現在も建物は残っており、農家の倉庫として利用されている。

98年にこのバス停そばに地元農家の野菜の直売場ができ、それがコスモス館と名付けられ、「会場前」はそれにあわせて翌99年に「コスモス館前」となった。

甲斐田川【かいだがわ】

泉北ニュータウンの中を流れる唯一の川。光明池駅南側の鴨谷体育館そばを流れる。2級河川石津川の支流。もとは、いまの新檜尾台と赤坂台を通って和田川に合流していたが、ニュータウン造成時に改修され、泉北1号線の下でカット、1号線の下をトンネルで通して和田川につないでいる。川沿いに植えられた桜が見事で、春には500メートルに渡って桜のトンネルが出現する。 写真は紅葉のころ。

かいどう橋【かいどうばし】

健康福祉短大(高倉台西小学校)近く、高蔵寺交差点そばの陸橋。

風のあいさつ【かぜのあいさつ】

大阪出身で「動く彫刻」で世界的に有名な新宮晋氏の作品のひとつで、高さ9メートル、幅11.5メートル。堺市内でかつて見られた風車をモデルにしたといわれる。泉北高島屋屋上にあったが、パンジョ改装工事にともなって撤去され、高島屋が堺市に寄贈を申し出た。市は当初、田園公園に移設を予定していたが、付近住民から「音がうるさいのでは」と反対論が出て場所を再検討、結局荒山公園、新池のほとりに落ち着いた。黄色いテント地の四枚の帆が風を受けると回転する仕組み。

かちかち山公園【かちかちやまこうえん】

のぞみ野にある「のぞみ野2号公園(旧・万町2号公園)」の愛称。和泉市の管理。89年に、市民に愛着を持ってもらえるようにと、昔話の「かちかち山」をテーマにしてつくった。園内に「かちかち山」をモチーフにした芝生の「かちかち山」「しばかり広場」、園路がたぬきの形になっている「たぬき広場」などのコーナーや壁画がある。こどもたちには略して「かちこう」と呼ばれることが多い。

かなりや公園【かなりやこうえん】

桃山台3丁6番にある児童公園。面積0.33ha。

かぶと公園【かぶとこうえん】

新檜尾台3丁8番にある児童公園。面積0.41ha。

釜室【かまむろ】

槇塚台の南側に所在。明治22年~現在の大字名。はじめ南上神村、明治27年上神谷村、昭和30年泉ヶ丘町、同34年からは堺市の大字。一部が昭和44年若松台、同46~47年茶山台・晴美台・槇塚台となる。フォレストガーデンがある。

かもしか公園【かもしかこうえん】

槇塚台3丁37番、槇塚台小学校近くにある児童公園。面積0.37ha。

鴨谷池【かもたにいけ】

鴨谷台3丁の鴨谷公園内にある池。満水時の面積2.06ha。

鴨谷大橋【かもたにおおはし】

泉北1号線をまたぎ、鴨谷台と新檜尾台を結ぶ橋。全長44.1メートル。
昭和50年5月竣工。

鴨谷体育館【かもたにたいいくかん】

光明池駅前、鴨谷公園内(鴨谷台2丁4番1号)に昭和60年(1985年)6月2日オープンした堺市立体育館。総工費約十億円。ニュータウンに府が建設する都市施設としては、泉ヶ丘市民センター(昭和58年7月オープン)、栂文化会館(昭和59年6月オープン)に次いで3番目で、堺市内では大浜、金岡に次ぐ3つ目の体育館であった。オープン記念には新日鉄対サントリーの男子バレーボールの試合が行われた。 2006年から指定管理者制度が導入され、堺市教育スポーツ振興事業団が管理・運営にあたっている。
4つの体育室、研修室、トレーニング室を備える。トレーニング室は講習を受ければだれでも使用できる。南図書館美木多分館併設。同館主催の各種スポーツ教室も開かれている。

鴨谷台【かもたにだい】

昭和51年(1976年)8月31日に公示、同52年(1977年)4月に街びらきした住区。基本計画ではO住区。

当初の計画戸数は2242戸。地名の由来は3丁4番に同住区最大のため池「鴨谷池」があることから。1丁~3丁からなり、面積74ヘクタール。2009年4月末現在2991世帯・7619人。

かもめ公園【かもめこうえん】

原山台4丁1番、緑道沿いにある児童公園。面積0.41ha。(栂地区の児童公園には鳥の名前がついている)

感応寺【かんのうじ】

富蔵380番地に所在する日蓮宗の寺院。「上神谷の妙見さん」として親しまれている。本殿の妙見堂は1658年に建立された。妙見大菩薩2体を拝し、毎年2月に厄除け開運の節分星祭が開催される。水子・人形供養、厄除け、安産祈願、腹帯、車祓いなど。
お寺であるが、写真のように入り口に鳥居がある。

がおか【がおか】

「泉ヶ丘」の略称(俗称ですので、あまり堅苦しいシチュエーションでは使わないでください)

ガーデンシティ【がーでんしてぃ】

栂美木多駅前(原山台2丁2番1号)、栂センタービル内に所在する専門店街。旧名「サンクール栂」。1973年12月オープン。2004年4月、ガーデンシティの名称でリニューアルオープン。
「サンクール」とは「中庭のある公園広場」の意味で、その名の通り4階建てのコの字型の建物が中庭を囲む。

2017年7月末、核テナントのダイエーが閉店して、43年の歴史に幕を下ろした。

→トナリエ参照

岸池【きしいけ】

三原台3丁にある池。満水時の面積1.72ha。堺市農業土木部の管理

北池田小学校【きたいけだしょうがっこう】

和泉市池田下町1670番地に所在する和泉市立小学校。明治5年、四拾二番小学校として開校したという古い歴史を持つ。その後明治8年に池田下村小学校、明治33年に北池田尋常小学校となり、昭和22年北池田村立小学校、昭和31年和泉市立北池田小学校となった。
1992年(平成8年)いぶき野小学校開校にともない、校区を分割。それまでの校区の北半分が北池田小の校区となった。分割前は1000人を超えるマンモス校であったが、これにより児童数減少。その後また増加、2008年5月現在で児童数1042人となったが、それ以降は減少。2013年5月現在で31クラス900人。

北池田中学校【きたいけだちゅうがっこう】

和泉市いぶき野3−4−1に所在する和泉市立中学校。1992年4月、和泉市内で10番目の中学校として開校。この年3月、いぶき野の入居が始まったばかりで、新住民の7人と旧地区の北池田小学校卒業生172人、計179人でスタートした。初代校長・宮川清二郎氏。開校当初は3階建て校舎に普通教室18室、特別教室11室、プール、体育館併設。

業務スーパー御池台店「泉北新鮮村」【せんぼくしんせんむら】

2016年11月オープン。全店舗、味彩の里フローリー。

2018年2月からは泉北ニュータウン周辺の買い物困難者への無料送迎と配達を開始、好評だったが2019年9月閉店。

更地になった後は住宅型有料老人ホームに。

きりん公園【きりんこうえん】

三原台3丁3番(泉丘幼稚園近く)にある児童公園。面積0.28ha。

近隣センター【きんりんせんたー】

泉北ニュータウンの各住区に一つ、住民の生活の中心施設として設置された。ただし光明池地区センター(駅前)に近い鴨谷台は、近隣センターといっても小規模なコンビニ(トマトハウス:現在はない)の開設にとどまった。多くは核となる市場やスーパー、専門店(米屋など。店舗付住宅)、自治会館(地域会館)、郵便局などで構成され、徒歩圏内で日常の用は足せるようになっていた。医療センター(開業医)も近くに位置する。

<変化>

近年、核となるスーパーが撤退するところが続出、核店舗がなくなったままの近隣センターもいくつかある。スーパーがあった跡に老人施設ができたり、空き店舗に障害者活動の拠点ができるなど、高齢化する街の姿がそのまま、近隣センターに反映されているかたちだ。車での移動ができない高齢者にとっては近隣センターの衰退は痛手となっており「買い物難民」の存在も問題に。

<管理>

近隣センターの通路や広場は2009年から順次、タウン管理財団から堺市へと、管理が引き継がれているが、アーケードについては補修した後、商店会が引き継ぐことが決まった。赤坂台では郵便局や地域会館,スーパーがアーケードの管理を拒否したため、円形だったアーケードは半円形に。

ぎんどろ橋【ぎんどろばし】

竹城台2丁1番、UR竹城台2丁団地の南端から竹城公園に続く道にある橋。

くすのき公園【くすのきこうえん】

2011年5月、青葉はつが野小学校南側に開設された公園。敷地2ヘクタール。多目的広場、テニスコート2面、こども遊び広場、ドングリとクローバーの森がある。
多目的広場は平日は高齢者専用となっている。大人用の健康遊具もある。

くちなし橋【くちなしばし】

新檜尾台幼稚園近くにかかる陸橋。

くぬぎ橋【くぬぎばし】

三原台1丁にある陸橋。ジョイパークそばの「けやき橋」からつながる。写真で、橋の向こうに泉ヶ丘プールが見える。

くりんざくら公園【くりんざくらこうえん】

児童公園。御池台2丁4番49号。

クリーンセンター南工場【くりーんせんたーみなみこうじょう】

御池台5丁1番1号に所在する堺市のごみ焼却施設。

昭和48年(1973年)3月竣工、堺市の第二清掃工場として操業開始した。敷地面積48,996.84平方メートル、鉄筋コンクリート造及び鉄骨造、地下1階地上4階建。処理能力は150トン×3基(1日あたり450トン)。ごみピット容量3,000立方メートル、灰ピット容量260立方メートル、煙突59メートル。
2014年3月で運転休止、業務はクリーンセンター臨海工場に引き継がれている。
建設当時すでに地元住民の強い反対があったことから、付帯設備として、ゴミ焼却の余熱を利用した施設をつくることとなった。これが現在の南老人福祉センターである。

くろうし公園【くろうしこうえん】

晴美台3丁7番にある児童公園。面積0.49ha。くろうしの絵をあしらったプレートが入口にある。

クロスモール【くろすもーる】→現在はアクロスモール泉北【あくろすもーるせんぼく】

原山台5丁にあるオープンモール形式のショッピング施設。イズミヤ、シネコン(TOHシネマズ泉北)その他の商業施設から成る。

敷物団地内のオリックスインテリア敷地内に1999年3月、まずデイリーカナートイズミヤ、和光デンキ(後に退店)などの入ったショッピングビル(当初は原山台アベニューという名前であった。現在は、アクロスモールA館)がオープン。続いて2000年12月に9スクリーンを備えるシネコン「ヴァージンシネマズ泉北」(当時)と専門店がオープン。

イズミヤなどの部分とあわせて「クロスモール」という名になった。
現在はA~D館からなり、レストランからファッション、エンタテインメント、カルチャーまでがそろう人気スポットとなっている。

栂・美木多駅前から無料の送迎バスが1時間に2~3本出ている。

シネコンは2002年には「ハリー・ポッターと秘密の部屋」の先行上映、初日、2日目の合計動員数が全国1となるなど、地域住民に親しまれている。
敷物団地については、それまでも少しずつ、変化はみられたが、クロスモールの誕生が決定的な変化を印象づけることとなった。これ以後も、周辺には相次いで大型店がオープン、車の往来も増え、すっかり様変わりした。

2019年4月から「大和ハウスリアルティマネジメント」が運営、「アクロスモール泉北」に改称。2021年3月に大幅リニューアル。

黒風呂池【くろぶろいけ】

庭代台3丁に所在する池。満水時の面積1.56ha。

くわがた公園【くわがたこうえん】

赤坂台にある児童公園。面積0.39ha。

ケアプラザ堺【けあぷらざさかい】

大阪労災特別介護施設「ケアプラザ堺」。在宅介護の難しい、高齢重度被災労働者(60歳以上の労災年金受給者で傷病・障害等級1~3級)のためのケア付きの住まい。

1998年(平成10年)7月、城山台5丁2番1号(母子医療センター南側)にオープン。
労働省が設置したもので、それまでに全国4か所に開設されていたが、近畿では初めて。
敷地面積21,287㎡、建て延べ11,254㎡。ワンルームマンション型の居住棟(地下1階、地上4階)をはじめ、管理棟(2階建)、宿舎棟(2階建)があるほか、食堂、売店、介護浴室、理容室、家族宿泊室などもある。個室はすべてバス、トイレ、洗面所、キッチン、ベッド、ナースコール付き。

けやき橋【けやきばし】

泉ヶ丘南専門店街2階保健薬局横からジョイパーク方面につながる陸橋。

げんごろう橋【げんごろうばし】

庭代台3丁と4丁を結ぶ橋(陸橋)。橋の下はバス道路で「庭代台3丁」〜「庭代台小学校前」の間。写真は4丁側(橋の東詰め)を向いて撮ったもので、橋に続くゆるやかなスロープ両側にタウンハウスが広がる。

荒山公園【こうぜんこうえん】

ニュータウン最初の公園として、昭和44年(1969年)に開設。

多治速比売神社を囲んで南北に広がる。同神社は「荒山の宮」とも呼ばれ、公園名はこれに由来する。堺市公園部によって1984年から3年計画で植えられた梅の木(約50品種・1400本)が成長し、いまでは梅の名所として泉北ニュータウン外からも多くの人が訪れる。桜の名所としても有名。南側に亜熱帯樹を集めた円形花壇、北側には広い芝生地がある。
面積176,000平米でニュータウン最大。
泉北高島屋屋上にあった新宮晋氏の動く彫刻「風のあいさつ」がパンジョ改装にともない撤去され、1997年にこの公園に移された。

光明池【こうみょういけ】

和泉市光明台に所在するかんがい用のため池。満水時の面積は35.6ヘクタール、周囲4キロメートル。府下最大の貯水量(370万立方メートル)を誇る。昭和3年(1928年)4月1日着工、昭和16年(1941年)に完成した。建設にあたっては朝鮮半島から多くの労働者が駆り出され、池の近くには「朝鮮人労働者の慰霊碑」が建つ。
名称は、この地が光明皇后生誕の地であるという伝説に基づく。
…奈良に都のあったころ、和泉市室堂にあった薬師寺に、知海上人という徳の高い僧が住んでいて、この僧に1頭の雌鹿がよくなついていた。あるとき、僧が庭で小便をしたところ、この雌鹿がなめ、上人の子をはらんだ。月満ちて生まれたのは女の赤ん坊で、村人によって育てられたが、美しいことで評判であった。そのころ、都から右大臣・藤原不比等がこの地を通りかかったとき、田が光り輝いていることをいぶかり「あの光は何じゃ」と調べさせると、早乙女たちのうちの1人、雌鹿の生んだ娘から光がさして、あたりが輝いていたのだという。そこで「このような光り輝く娘は見たことがない」と都に連れてかえった。このとき、娘の母親である雌鹿は、ひそかに村の坂まで来て別れを惜しんだ。この坂が今の「女鹿坂(めがさか)」である。娘は時の帝・聖武天皇の妃になり、これが有名な光明皇后である…と、この地方では伝えられている。
また、現在の光明池が出来る前にも、「光明池」があったという説もある。白鳳時代に行基が掘った池があり、この池の竣工の際に光明皇后が聖武天皇とともに臨幸した。それでその池を光明池と名付けた、とのことだ。  現在の光明池は美しいアーチを描く光明池大橋とともに広く市民に親しまれ、その景観は「大阪緑の百選」(1989年選定)にも選ばれるほど。市池周辺で毎年「ふれあい3時間走」が開催される。
池の北堤、守護神社そばには雨乞い蛙がある(「あ」の項参照)

光明池アクト【こうみょういけあくと】

光明池駅前、鴨谷台2丁1番に所在する商業ビル。

同駅前にかねてからショッピングセンターを計画していた「ひかり事業協同組合」が1985年(昭和60年)に府企業局から用地を購入、駅前専門店街「サンピア」と計画内容の調整を行い、翌年着工した。
ビルの愛称を一般募集し、応募総数570点の中から、片山智恵子さん(原山台5丁)の「光明池アクト」に決定。1988年(昭和63年)4月24日オープン。

地下1階、地上7階建て、敷地面積約2100平米。透明カプセル型のエレベーターが外観に特徴を与えている。

当初は 物販・飲食店20数店舗のほか、スポーツクラブや文化教室などが入っていた。
現在は文化教室はないが、歯科、耳鼻科から眼科、泌尿器科など医院や処方箋薬局が入っており、メディカルセンター的な側面も。スポーツクラブはフィットネスクラブコ・ス・パ。また、カラオケ店や今風居酒屋も入店、レジャースポットしての人気も高い。

光明池一番街【こうみょういけいちばんがい】

光明池駅内(ホームの下)にある商店街。昭和52(1977)年8月にオープン。オープンした当初は18店舗。ほとんどは泉ヶ丘地区などですでに営業していた店だった。2010年現在は銀行、歯科医院のほか9店舗が営業している。住所は新檜尾台2丁1番。

光明池駅【こうみょういけえき】

泉北高速鉄道の駅。堺市南区新檜尾台2丁に所在。

昭和52年(1977年)8月開業。地上3階建で1階が店舗(光明池1番街)、2階がコンコースと駅務関係、3階がプラットホーム。

泉ヶ丘駅や栂美木多駅と違い、ホームが高架で見晴らしは良いものの吹きさらしの状態であったため、96年にガラスの風防壁が取り付けられた。泉北高速が光明池までの時代は発車待ちの列車内で雨や風をしのぐこともできたが、和泉中央駅開業後はそれもできなくなったため。

2008年、開業以来はじめての全面改装工事(耐震補強工事含む)を行い、コンコースを拡張、エレベーターやトイレの位置を変更、コンビニもできた。

光明池大橋【こうみょういけおおはし】

光明池の水面をまたぐアーチ型の歩行者専用橋。昭和60年(1985年)春開通。長さ157.6メートル、幅4~6メートルで、世界でも珍しい構造、型式を採用した長大歩道橋。総工費約4億8千万円。住宅・都市整備公団が建設。自然との調和やモニュメント性を配慮した設計などが評価され、昭和60年度の土木学会田中賞受賞。1986年には槇塚台の鬼塚史朗さんが多重反響現象、いわゆる「鳴き龍」を発見して話題になった。橋の中央でポンと手を打つと、路面と天井の間を音が何回も反射して、ぶる・る・る・る…と響くもの。なお、光明台ニュータウンの完成を記念して昭和60年(1985年)に行われた光明台フェアに先立ち、大橋の愛称も一般公募、「あいあい橋」と決定してフェアで発表されたが、ほとんど定着していない。

光明池まつり【こうみょういけまつり】

夏休み最後のイベントとして毎年8月の終わり(はじめは7月下旬に開催していた)に光明池駅高架下広場などを会場にして開催される地域の祭り。美木多校区自治会や福祉委員会、サンピアなど周辺の商店街が実行委員会を構成している。2010年が31回目。
当初は「光明池フェスティバル」と称していたが、88年の第9回から「光明池まつり」と名を変えた。
1974年(昭和49年)に始まった泉北まつり(1991年が最後)の会場が泉ヶ丘に集中することを不満として、光明池地区の自治会が抜け、サンピアが開いていた光明池フェスティバルに参加するようになったのがはじまり。泉北まつりは朝日新聞、光明池フェスティバルは読売新聞が後援、一時は「朝日VS読売」の様相を呈していた。現在は地域住民主導のまつりとして定着、コンサートやバザー、縁日などでにぎわう。

光明センタービル【こうみょうせんたーびる】

光明池駅前、鴨谷台2丁5番に所在するビル。4階建て・のべ1757平方メートル。郵便局や医院、集会室などが入っている。1980年4月開業。泉北センターの管理であったが、05年1月に民間に売却された。
なお、名称の「光明センタービル」はよく「光明池センタービルの間違いではないのか」と言われるが、決して間違いではない。ただし、オープン直前にやはり「光明池センタービル」と思い込んだ業者が壁面の表示を「光明池センタービル」とし、あわてて「池」の字を取り外させたというエピソードもある。

こおどり【こおどり】

櫻井神社で毎年10月第1日曜に奉納される伝統舞踊。昭和47年には国の無形文化財になっている。
もともとは鉢ヶ峯の国神社に伝わっていたもの。国神社が明治43年の神社統合で桜井神社と合併して以来長く途絶えていたが、昭和8年に桜井神社に奉納するというかたちで復活した。現在は地元住民による「鉢栄会」によって保存・継承されている。
「ひめこ」(長い竹竿に色とりどりの紙片をつけたもの)を背負った鬼と天狗が円の中で踊り、そのまわりを一文字笠に紋付の「外踊り」が、鉦と締太鼓のはやしにあわせて踊る、ゆったりとした踊りである。踊り手は鉢ヶ峯寺地区の小・中学生の男子。雨乞いのための踊りだったとか収穫の喜びを神に感謝したものだとか言われているがはっきりしない。

こおろぎ橋【こおろぎばし】

桃山台4丁と3丁の間、泉北北線をまたぐ陸橋。しんこおろぎばしにつながる。昭和51年(1976年)3月竣工。すぐそばに福泉南中学校、福泉中央小学校がある。

小谷城郷土館【こたにじょうきょうどかん】

堺市南区豊田1602-1に所在する民俗資料館。

郷土史研究者として、また民具や考古資料、武器の収集家として知られた故・小谷方明(こたにみちあきら)氏がすでに1971年には自宅内に「小谷城郷土館」を設けていたが、1991年に氏が亡くなった後、遺族や関係者によって財団法人化。新たに「財団法人小谷城郷土館」として1992年に開館した。
小谷家は中世の豪族の家柄で、城跡は堺市内最古の山城のひとつ。資料館は江戸時代に建てられた旧宅部分を改造したもの。郷土館正門は、1727年伯太藩主渡辺基綱が和泉市伯太に築いた陣屋(伯太陣屋)の裏門を移築したものと伝えられている。

小代【こだい】

石津川中流域に位置する。泉北2号線を挟み南北に広がる。周囲を中区平井、伏尾、南区和田、太平寺、大庭寺に囲まれている。明治22年~現在の大字名。はじめは北上神村、昭和10年福泉町、同36年からは堺市の大字となる。同42年、一部が竹城台・宮山台となる。

こなら橋【こならばし】

三原台近隣センターと3丁の公社団地の間にかかる橋。1969年建設。2010年、41年ぶりに手すりの塗り替えが行われた。

こひつじこども園【こひつじこどもえん】

昭和46年(1971年)4月1日、社会福祉法人「愛の園 こひつじ保育園」が竹城台2丁に開園。

ニュータウン最初の保育園。開園当初の定員は90名。昭和50年(1975年)園舎を増築し、定員180人に。創立20周年の平成3年(1991年)4月1日、社会福祉法人地球の園 こひつじ保育園に。

2015年4月、幼保連携型認定こども園に移行。2021年4月に「こひつじこども園」に園名を変更。



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記事中に掲載されている情報は掲載日(2023年2月1日)時点のものです。

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