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2015年までホームページ内に掲載していた「泉北ニュータウンの基礎知識」を再掲載しています。2023年1月加筆修正。
まちがい等ありましたらご連絡ください。>>コミュニティ編集部
- 1 は
- 1.1 はくちょう橋【はくちょうばし】
- 1.2 畑【はた】
- 1.3 ハッピーベアル【はっぴーべある】
- 1.4 はつが野【はつがの】
- 1.5 鼻過橋【はなそげばし】
- 1.6 原山公園【はらやまこうえん】
- 1.7 原山台【はらやまだい】
- 1.8 原山台小学校【はらやまだいしょうがっこう】
- 1.9 原山台中学校【はらやまだいちゅうがっこう】
- 1.10 原山台東小学校【はらやまだいひがししょうがっこう】
- 1.11 原山台幼稚園【はらやまだいようちえん】
- 1.12 晴美公園【はるみこうえん】
- 1.13 はるみ小学校【はるみしょうがっこう】
- 1.14 晴美台【はるみだい】
- 1.15 晴美台近隣センター【はるみだいきんりんせんたー】
- 1.16 晴美台小学校【はるみだいしょうがっこう】
- 1.17 晴美台中学校【はるみだいちゅうがっこう】
- 1.18 晴美台東小学校【はるみだいひがししょうがっこう】
- 1.19 ハーベストの丘【はーべすとのおか】
- 1.20 パンジョ【ぱんじょ】
- 1.21 パンジョシネマ【ぱんじょしねま】
- 2 ひ
- 3 ふ
- 4 へ
- 5 ほ
は
はくちょう橋【はくちょうばし】
大蓮池にかかかっている橋。白いアーチをいくつも重ねたような優美な欄干はまさに「白鳥が羽を広げたよう」だったが、「低くて危険」との指摘から、2006年に、欄干より30センチ高い柵が内側に取り付けられた。「景観より安全第一」とのことだが・・・。
畑【はた】
石津川上流東方、陶器山丘陵の北部に位置する。明治22年~現在の大字名。はじめ南上神村、明治27年上神谷村、昭和30年泉ヶ丘町、同34年からは堺市の大字。同47年、一部が槇塚台となる。
河内長野の滝畑、貝塚市の畑、泉南市の童子畑(わらずばた)、葛畑(つづらばた)と同様に、この地域が開墾された当時は焼畑耕作が行われていたので、地名になったと思われる。江戸初期にはため池の築造が行われ、水田耕作に変わっていった。
ハッピーベアル【はっぴーべある】
ビッグバンのキャラクター、ベアルとメロウをあしらった泉北校高速鉄道のペイント列車の愛称。ビッグバン開館とともに運行開始、10周年を迎えたのを機に2009年3月に一般公募、全国から寄せられた510件の中から選ばれた。
はつが野【はつがの】
和泉市の地名。まなび野とともに和泉ニュータウン(トリヴェール和泉)の東部ブロックを形成する。1998年3月入居開始。2014年5月末現在の人口は2070世帯6861人。集合住宅はモンセーヌ和泉中央(270戸、98年完成)だけで、大部分は戸建て住宅。住区内に2006年、青葉はつが野小学校が新設されたが、中学校は新設しなかった。既存の南池田中学校の校区となる。
鼻過橋【はなそげばし】
泉北2号線沿いの石津川にかかる橋。片蔵西交差点から南片蔵に下る坂道にある。一瞬「?」と思う名前だが、その付近はかつて「はなそげ(鼻過)」という地名だったそうだ。また、鼻過池という池があって付近の田んぼの用水として活用されていたが、敷物団地の造成で埋め立てられてなくなってしまった。その後、この橋がかかるときに「鼻過」の名前を残そうと、つけられたという。
原山公園【はらやまこうえん】
原山台2丁にある公園。長池のほとりに沿って南北に広がり、栂地区緑道が縦貫する。
遊具のあるコーナーやグラウンド、藤棚などを含み、変化に富む。面積78,000㎡。別名「はそ谷公園」。
池のそばに妙にリアルな動物(シマウマやカンガルー、象など)像のある一角があり、不思議な雰囲気を醸し出している。
原山台【はらやまだい】
昭和49年(1974年)4月に街びらきした住区。基本計画では「J住区」。原山台3丁と庭代台2丁の境界に小高い山があった。
この山は、もと「原山大師」のあった〝おダイシ山″で、原山台の地名もここから名付けられた。地名の候補としては他に西城台、山の井台、西山台(西山城跡があったことから)があったという。
当初計画戸数は3294戸。1丁~5丁からなり、面積15ヘクタール。2009年4月末現在5448世帯・12402人。住区内に原山台幼稚園、泉北花園保育園、原山台小学校、原山台東小学校、原山台中学校がある。
原山台小学校【はらやまだいしょうがっこう】
原山台4丁3番1号に所在する堺市立小学校。昭和49年(1974年)4月、職員14人、児童162人でスタート。昭和56年5月時点で39クラス(養護学級1クラス)・1576人のマンモス校に。09年5月1日現在、13クラス・268人。
原山台中学校【はらやまだいちゅうがっこう】
原山台4丁2番1号に所在する堺市立中学校。昭和49年(1974年)4月1日開校。生徒数はピーク時には1100人を超えたが2009年5月現在は10クラス341人。校訓は「愛・学・健」。通学区域は原山台と栂。
原山台東小学校【はらやまだいひがししょうがっこう】
原山台5丁4番1号に所在する堺市立小学校。昭和51年(1976年)4月創立。初代校長は野田実氏。校章=画像=は校区内から公募して決まったもの。10月の体育大会で発表された。校歌も公募、11月の父母参観日に披露された。
生徒数はピーク時には1000人近くになったが2014年5月現在は19クラス472人。
原山台幼稚園【はらやまだいようちえん】
原山台4丁4番1号に所在する幼稚園。昭和48年(1973年)11月に開園。学校法人ふじ学園が経営。送迎バスには機関車型のSLバスあり。
晴美公園【はるみこうえん】
晴美台3丁6番、帝塚山学院の向かいに位置する公園。面積61,000㎡。三ツ割池を中心に南北に細長い形。野球グラウンド1面と芝生広場が並ぶ。30台ほどの駐車場完備。
はるみ小学校【はるみしょうがっこう】
晴美台3丁3番1号に所在する堺市立小学校。05年4月に晴美台小と晴美台東小が統合されて誕生。
校舎は元の晴美台小の校舎を取り壊して、新しく建設したものだが、発足から現在の校舎完成(2007年4月)までは晴美台東小の校舎が使われた。
現在の校舎は、泉北の小学校では初の2階建てで、エレベーターや障害者用トイレも備え、ランチルームや図書室、音楽室などは地域住民も利用しやすい配置になっている。校名が決まるまでは「はるみが丘」「なかよし」「とうき」などの候補もあった。2009年5月1日現在、15クラス・414人。
晴美台【はるみだい】
昭和47年(1972年)4月に街びらきした住区。基本計画では「G住区」。泉ヶ丘地区の東端に位置し、最も高い丘陵地帯で、見晴らしが美しいことから晴美と名付けられたが、他に「松園」「梅の木」「若宮」「三ツ割」といった候補もあったそうだ。当初計画戸数は3541戸。1丁~4丁からなり、面積126ヘクタール。2009年4月末現在3475世帯・8105人。住区内に晴美台保育園、晴美台幼稚園、はるみ小学校、晴美台中学校があるほか、堺東高校、帝塚山学院泉ヶ丘中・高校、帝塚山学院大学泉ヶ丘キャンパスがある。
晴美台近隣センター【はるみだいきんりんせんたー】
昭和47年(1972年)4月29日、槇塚台センターと同時にオープン。大丸ピーコックを核店舗として、独立店舗、管理棟で構成。
現在はマックスバリュ 泉北晴美台店。
晴美台小学校【はるみだいしょうがっこう】
晴美台3丁3番1号にあった堺市立小学校。昭和47年(1972年)に6クラス・24人でスタート。生徒数急増に伴い、1982年晴美台東小学校が分離校として開校。この年、晴美台小学校の児童数1554人、晴美台東小の児童数577人であった。その後、児童数は減少、05年4月に晴美台東小と統合され、「はるみ小学校」に。はるみ小の新校舎は旧晴美台小跡地に建てられた。
晴美台中学校【はるみだいちゅうがっこう】
晴美台3丁に、昭和47年(1972年)4月開校。当時の生徒数8名、教職員12名。その後生徒数は急増、昭和62年には1682人となり、赤坂台中と並ぶマンモス校であった。平成21年4月現在生徒数374名、教職員30名。通学区域は晴美台、岩室、槇塚台1・3・4丁と2丁の一部、釜室(一部)、逆瀬川、畑(一部)。出身者に歌手コブクロの黒田俊介、漫才師シャンプーハットの宮田てつじ。
晴美台東小学校【はるみだいひがししょうがっこう】
晴美台1丁38番1号にあった堺市立小学校。昭和57年(1982年)、マンモス校になっていた晴美台小学校の分離校として開校。開校当時の生徒数569人。しかし、1997年には全学年で1クラス、全校生徒数170人になっていた。05年4月に晴美台小学校と統合され、「はるみ小」に。 はるみ小の新校舎は元の晴美台小学校あとに建てられることになり、工事期間中(05年~07年3月)は晴美台東小校舎が使われた。跡地は住宅地(大和ハウス工業によるスマ・エコタウン晴美台:65区画)となり、2013年6月に街びらきが行われた。
ハーベストの丘【はーべすとのおか】
鉢ヶ峯丘陵に所在する農業公園。
この地域にはゴルフ場の計画があったが、住民の反対運動が起こり、堺市が事実上「不許可」の結論を出し、これに代わる開発案を検討。95年に「都市近郊型の里山リゾート」とする基本計画が打ち出された。この中核施設となったのが「緑のミュージアム」、現在の「ハーベストの丘」(名称は公募で99年に決定)である。
実際には全国で農村型テーマパーク事業を展開している民間企業と堺市が提携して事業をすすめた。連絡道路なども含めた総面積35万平方メートルの地に農産物直売所や研修所、加工体験実習館、レストランやバーベキューサイト、パン・ピザ工房などがあり、全体はヨーロッパの農村をイメージしたつくりになっている。2000年4月にオープン、直後のゴールデンウイークは来場者の車で泉北2号線とその周辺は大混雑した。この年は100万人近くの入場者を集めたが、その後は減り、最近は年間30万人台である。
古代、須恵器の生産地であった泉北にふさわしく登り窯が設置されているのがひとつの特徴。園内の陶芸教室受講生らの作品がこの窯を使って焼成される。
入園は有料だが、地元の新鮮な農産物が買えるので人気の農産物直売所は入場無料。09年に移転リニューアルオープンした。愛称「またきて菜」。
パンジョ【ぱんじょ】
泉ケ丘駅前、茶山台1丁3番1号に所在するショッピングセンター。株式会社パンジョ。1972年(昭和47年)10月、大阪府都市開発(株)と(株)高島屋が共同で、仮称・泉北開発㈱、愛称パンジョを設立、1973年に(株)パンジョと社名変更した。「パンジョ(PANJO)」は「みんなが楽しく集い、ショッピングや余暇を過ごす場所」「みんなの恋人」という意味を表した造成語。
泉ケ丘駅前にはニュータウン計画当初から百貨店が入る予定であったが、近鉄か大丸かとも取りざたされた。結局は高島屋に決定。
パンジョオープンは1974年11月15日。このときのパンジョは延べ床面積55800平方メートル(うち高島屋が21700平方メートル)、地上4階建て。高島屋泉北店は堺市内で二つ目の百貨店となった。食料品売り場にはセルフ方式のデイリーフーズマートを設けるなど、団地のデパートらしい特色も盛り込んだ。高島屋屋上には新宮晋氏の動く彫刻「風のあいさつ」が設置された。
オープン初日の15日には12万人、翌16日は10万人、17日も10万人が来店し、開店前から長蛇の列が続いた。ニュータウンのこの年最大のできごとであり、当時の本紙には「泉ヶ丘駅前が堺市の副都心として、15日、衣替えする」と報じられた。オープニングイベントには高島忠雄、ペギー葉山、菅原洋一らが出演、室内プールのオープニングセレモニーにはミュンヘンオリンピックのメダリスト、田口信教、青木まゆみらが模範泳法を披露した。
1992年にリニューアル計画を決定、敷地をフルに使って増床、専門店の数も増やすことにしたもので、1994年着工。営業を続けながら順次進め、1996年にリニューアル完成、店舗面積1.8倍になって3月9日オープンした。
リニューアル後はオープン型のパンジョ広場はなくなり、かわりに5階に多目的ホールの「パンジョホール」が設けられた。毎年「ドアのない美術館」を合言葉にパンジョホールで開催されていた「泉北美術展」は「ドアのある美術展」になったという声も。特徴的だったオープンモール型式の「エスプラネード」もなくなった。「風のあいさつ」は行き場を求めて結局荒山公園に。ロゴマークも一新、文化教室は「パンジョクラブイズ」となって拡充。新しくなったパンジョは平成6年(1994年)に施行されたハートビル法(障害者や高齢者にも利用しやすい建物の基準を決めた法律)の大阪府内での認定施設第一号となった。
パンジョシネマ【ぱんじょしねま】
泉ヶ丘駅前のパンジョ4階ポポロ広場に1986年(昭和61年)7月19日、オープンしたミニ映画館。総工費約1億円。座席数80席(立ち見なし)、スクリーンは横4.2メートル、縦1.8メートル。従来の映写機ではなく、コンピューターシステムによる「天吊り映写機」を使用。コンパクトな造りながら、清潔感あふれ、女性が一人でも行きやすい映画館であった。最初に上映されたのは「火宅の人」。入場料千円だった。
それまでも映画上映会は行っていたが、オレンジルームでの上映で、専用のシアターではなかった。
パンジョシネマは地元の名画館として、また封切り作品も上映。「マルサの女」「鹿鳴館」など話題の映画を次々上映、春休みや夏休みのマンガ祭りは親子連れでにぎわった。しかし、パンジョリニューアルとともに閉館。リニューアル後は多目的ホールのパンジョホールで映画上映が行われていたが、現在は行われていない。
ひ
ひいらぎ橋【ひいらぎばし】
鴨谷体育館近く、甲斐田川にかかる橋。
東大谷高校【ひがしおおたにこうこう】
三原台2-2-1に所在する高校。旧ヤングタウンで最後まで残っていた府公社三原台単身者住宅の跡地(15000平方メートル)に2013年4月、開校した。特別進学コース、言語国際コース、進学探求コースがあり、2013年度は希望者が殺到して当初予定を大幅に越える20クラス・758人でスタートした。 東大谷高校は学校法人大谷学園(大阪市阿倍野区)が運営。前身の女学校以来100年以上の歴史を持つ女子高校であったが、泉ヶ丘キャンパス開設と同時に男女共学となり、制服も一新された。いずれは中等部も創設、中高一貫校をめざす。系列の大学として大阪大谷大学(富田林市)がある。
ひぐらし橋【ひぐらしばし】
庭代台中学校のすぐそば、泉北南線をまたぐ陸橋
ひつじ公園【ひつじこうえん】
宮山台1丁5番(宮山台保育所近く)にある児童公園。面積0.27ha。
檜尾大橋【ひのおおおはし】
栂~光明池間の鉄道と泉北中央線建設のため、檜尾地区の丘陵が切り開かれ、丘陵の上の町が分断された。それをつなぐため、府企業局により檜尾大橋が建設された。全長101m、高さ18mの赤いアーチ橋で、昭和51年(1976年)3月に開通。
ひばり公園【ひばりこうえん】
原山台4丁7番、原山台幼稚園のそばにある児童公園。面積0.27ha。
ビッグ・アイ【びっぐあい】
泉ヶ丘駅前、茶山台1丁8番1号に所在する国際障害者交流センターの愛称。「国連・障害者の10年」を記念して厚生労働省が整備したが、運営は大阪府の外郭団体である大阪府地域福祉推進財団に委託されている。1999年着工、2001年9月18日オープンした。1500人収容の多目的ホールのほか、研修室や宿泊施設、レストランがあり、全館バリアフリー。宿泊施設はニュータウン内ではほかになく、貴重な存在である。障害者だけでなく健常者も利用できるが、宿泊料などは障害者が割安となっている。地上3階、地下1階、敷地面積約8000㎡。愛称ビッグアイのビッグは「大きい」、アイはI(わたし)、Independence(自立)、Information(情報)、Intercommunication(交流)、International(国際的)の頭文字をとったもの。レストラン「ぐらん・じゅ」がある。
04年度~06年度のシルバーアドバイザー養成講座南部講座はビッグアイで開かれていた(07年度から北部講座と一本化、大阪市内に移った)。
ビッグバン【びっぐばん】
堺市南区茶山台1丁9番1号に所在する、府立の大型児童館。1995年12月に起工、平成11年(1999年)6月23日オープン。
そもそものはじめは1979年、府民生部児童課が泉北ニュータウン内に「国立の子どもの城を設置してほしい」と要望したことだが、これ以降、毎年検討費の予算はつくものの、なかなか実現しなかった。結局、1989年になって国立誘致はあきらめ、府が主体となって建設することでやっとプランが動きだした。1992年には多田コレクションによるおもちゃ博物館を盛り込むことが、同年12月には漫画家の松本零士氏を館長に迎えることが決まり、外観デザインもUFOをイメージした地上5階、地下1階のユニークなものに決まった(※多田コレクションは2013年3月に国立民族学博物館に無償譲渡された)。
ビッグバンの名称は一般公募で、1995年、1892点の中から採用された。(この名称が決まるまでの20年、コミュニティではずっと「こどもの城」という名称で報じていた)
ビッグバンの建設にともない、養子池は埋め立てられて、なくなった。昭和46年以来ニュータウン開発を見守ってきた展望台も、取り壊された。(跡地には木製遊具が置かれた)
また、泉ヶ丘駅前からビッグバンへは連絡デッキが建設され、その下にはバスターミナルなどロータリーも整備され、2001年のビッグアイのオープンも含めて駅前の景観ががらりと変わることとなった。ニュータウンで久々の大型工事であったといえる。
松本零士氏デザインによるキャラクターは時空航行船フロンティア号のクルーたちということになっており、中心となるのはベアルとメロウ(泉北高速のペイント列車でもおなじみ)。また、マチカネワニをもとにした「ワニタン」もサイトでは主要キャラクターとなっているようであるが、マチカネワニはもともと豊中市で化石が発掘されたワニで、泉北の住民にはぴんとこないものではないだろうか。
ビッグバンのオープンした年は1999年、またビッグバンの電話番号は「072−294−0999」でいずれも「スリーナイン(999)」とのことだ。
ビッグバンはオープン5日目に早くも入館者1万人に達した。開館10周年を迎えた2009年6月にはのべ287万人を超えている。
pivo和泉中央【ぴぼいずみちゅうおう】
和泉中央駅前(エコール・いずみ東館に隣接)の商業施設。2009年3月オープン。敷地約4500平方メートル。4階建てのビルに銀行、美容室、子ども写真スタジオ、学習塾などのほか医院が6軒入り、クリニックゾーンを形成している。
ピラカンサ橋【ぴらかんさばし】
光明池駅近く、鴨谷台2丁~3丁にかかる陸橋。イオン光明池店のすぐそば。
ふ
ファインプラザ大阪【ふぁいんぷらざおおさか】
城山台5丁の障害者福祉エリアの中心施設になる府立障害者交流促進センターの愛称。南区城山台5丁1番2号。運営は財団法人大阪府総合福祉センターによる。
1986年4月オープン。敷地面積6万㎡、3階建て延べ8千㎡。1階には体育室や温水プール、トレーニング室、2階には400人収容の大ホール、相談室、生活訓練室、児童プレールーム、車いすで使用できる喫茶ラウンジ、事務室、3階には研修室などがあり、屋外には多目的広場が。障害者だけでなく健常者との同時使用ができることが特徴(料金等の面で障害者を優遇)。トレーニング室、温水プールなどは健常者の利用も多い。またアーチェリーができる施設は珍しく、同プラザの特色となっている。ちなみに、「ファイン(FINE)」はFull participation(完全参加) Integration(統合化) Normalization(ノーマライゼーション) Equality(平等)の頭文字をとったものとされている。
大阪府老人大学南部講座(1986~2007年)はここを拠点としていた。
*072-296-6311 南海バス「城山台5丁」か「城山台口」下車、光明池駅前から送迎バスも出ている。
フォレストガーデン【ふぉれすとがーでん】
堺市南区釜室188-1(槇塚台そば)に所在する施設。堺市農政部が地域農業振興のために造成、1994年4月オープン。約7万平方メートルの園内に市民菜園、つどいの広場、わんぱく広場、水仙の谷、ヒガンバナの坂などが整備されている。約2万株が植えられているスイセンの谷は手近に楽しめるスイセンの名所となっている。また、ヒガンバナの坂には赤・白・黄色のヒガンバナが咲く。2006年から指定管理者制度の対象となり、NPO法人堺フェニックス、09年4月からは釜室自治会が管理・運営にあたっている。市民菜園は毎年春に利用者を募集する。
現在はみんなの里山倶楽部(代表団体=特定非営利活動法人ASUの会、その他構成団体= 一般社団法人堺南すこやかファーム推進会・一般社団法人泉北レモンの街ストーリー・ 泉北エンタープライズ株式会社)が管理・運営。
福泉中央小学校【ふくいずみちゅうおうしょうがっこう】
桃山台4丁17番1号に所在する堺市立小学校。
昭和31年、福泉町立第2小学校として設立。同36年3月、福泉町と堺市の合併により、堺市立福泉中央小学校と改称。同50年4月、桃山台4丁の現在の校舎に移転。児童数はピーク時には1000人を超えていたが、2009年5月1日現在、16クラス・449人。
福泉南中学校【ふくいずみみなみちゅうがっこう】
桃山台3丁7番1号に所在する堺市立中学校。昭和22年4月に美木多村立美木多中学校として開校。以後、町村合併などで学区も何度か変わり、昭和31年に福泉町立美木多中学校となり、昭和36年福泉町が堺市に編入されたことにより堺市立美木多中学校に。昭和38年(1963年)、現在地に移転。昭和52年、美木多中学校を分離して、堺市立福泉南中学校となった。略称「ふくなん」。
生徒数のピークは昭和61年(1986年)で1,048人。
校訓は「勤勉・友愛・感謝」。
通学区域は稲葉、南区大庭寺、小代、太平寺、高尾、野々井、三木閉、和田、桃山台、西区太平寺。出身者にゴスペルシンガーの文屋範奈。
福徳寺【ふくとくじ】
堺市南区豊田1721に所在する真言宗の寺。神亀元年、行基の開基と伝えられる。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で焼き払われたが、寛永21年(1644)に再建された。本尊は薬師如来。
1988年(昭和63年)、344年ぶりに建て替えられ、この年3月には盛大に落慶法要が行われた。本堂は木造瓦葺き平屋建てで床面積約147平方メートル。同じく約104平方メートルの庫裏と渡り廊下で結ばれている。 毎年1月に大護摩法要が行われ、このときの「火渡り」が見もの。写真マニアも多く訪れる。
ふれあいバス【ふれあいばす】
堺市の各校区から区役所や老人福祉センターなどの公共施設へ100円で連絡するバス。平成12年(2000年)10月から運行開始。98年2月から各校区と老人福祉センターを結ぶ無料送迎バスが運行していたが、ふれあいバス運行開始にともない、このバスは廃止された。
ふれあいバスは堺市と南海バスとの共同事業であり、ニュータウン内の停留所はほとんどが南海バスの停留所である。また、泉ヶ丘駅前、光明池駅前には、南海バスとの競合を避けるため止まらない。南区では、南区役所と南老人福祉センターを通る4ルートを設定。当初は週2回・1日5便の運行であったが、08年から週3日、1日4便となった。大人100円、子供50円、障害者には路線バス同様の割引あり。また、車両はノンステップで車いすにも対応している。
同様のバスに和泉市のめぐ~る、富田林市のレインボーバス、大阪狭山市の市循環バス、河内長野市のモックルコミュニティバスなどがある。ふれあいバスの利用者は堺市全体で年間約7万8000人(08年度)ほどだが、泉北ニュータウンのある南区の利用者はこのうち48%を占める。なお、事業としては08年度で5810万円の赤字となっている。
※2013年6月末で廃止された。同年7月から「おでかけ応援バス」が平日はいつでも利用できるようになったことに伴うもの。
ブルドーザー公園【ぶるどーざーこうえん】
三原台3丁8番13号の三原台第2公園の通称。不用のブルドーザーが遊具として置いてあり、子供たちの遊び場になっていることから。
プール学院大学【ぷーるがくいんだいがく】
槙塚台4-5-1に所在する大学。 昭和57年(1982年)4月、泉北ニュータウン初の大学、プール学院短期大学として開校。プール学院は明治12年に大阪川口居留地に開学したという古い歴史を持つキリスト教系の学校で、当時大阪市内に中・高・大学があったが、敷地が手狭になったため、大学部を泉北に移転させたもの。96年には泉北ニュータウン初の男女共学・四年制大学として国際文化学部国際文化学科を開設した。 現在国際文化学部(教養学科、子ども教育学科、国際文化学科、英語学科)と短期大学部(秘書課、幼児教育保育学科)、大学院(国際文化学研究科)がある。敷地40960平方メートル。赤みがかったタイルを用い、英国風の外観となっている。2001年、エレノアホールが竣工、ホール内には本格的なパイプオルガンを備えたチャペルがある。
現在は桃山学院教育大学。
へ
平和の園保育園【へいわのそのほいくえん】
高倉台3丁4番1号に所在する保育園。社会福祉法人淳心会運営。1973(昭和48)年4月開設。保育対象は0歳5か月~小学校就学前。
ベアルとメロウ【べあるとめろう】
泉ヶ丘駅前の府立大型児童館ビッグバンのキャラクター。デザインは同館館長で漫画家の松本零士氏。メロウは大宇宙のかなたに輝く惑星ハートイピアのプリンセス。自分の星を守るために必要な「イメージングクリスタル」を探す旅に出ることにしたメロウは、時空航行船フロンティア号を作り、王室の科学技術顧問のベアルを船長に、クルーたちと広大な宇宙へ飛び出した、という設定。泉北高速鉄道では、このキャラクターたちがペイントされた列車、愛称「ハッピーベアル」が走っている。
しかし、ペイント列車に描かれているキャラはベアルというよりもダグに近いと思うのは気のせいだろうか。
詳しくはビッグバンのサイトの「キャラクター図鑑」参照。
ほ
法道寺【ほうどうじ】
鉢ヶ峯寺401番地に所在する真言宗の寺院。670年に法道上人が開山。長く長福寺と呼ばれていたが、1716年徳川8代将軍吉宗の嫡子に長福丸と名付けられてから、法道寺と改名された。往時には49もの寺を持ち興隆を極めたが、秀吉の兵火を受け、元禄のころには10坊、幕末には7坊、現在は本寺と常真院のみとなっている。食堂(じきどう)・多宝塔および十六羅漢像が重要文化財。また、金剛力士像は07年に堺市の有形文化財となった。98年~07年に平成の大修理が行われた。毎年旧暦3月21日には正御影供(しょうみえく)が行われる。
境内中央と山門脇にサルスベリの木がある。特に境内中央のものは大木でみごとである。
ほたる橋【ほたるばし】
栂緑道の途中、御池台近隣センターそばにある陸橋。あかとんぼ橋とつながっており、さらにすずむし橋とT字型につながる。
坊主池【ぼうずいけ】
荒山公園内にある小さいほうの池。8月はハスの花がきれい。満水時の面積0.25ha。
ぽぷら橋【ぽぷらばし】
槇塚台センターそば、槇塚台と晴美台の間の道路(泉北5号線)にかかる陸橋。
現在は撤去。
撤去時の記事 https://sencomi.com/localnews/20210624_senboku/