この記事は公開日から1年以上経過してるため情報が古い可能性があります。
2015年までホームページ内に掲載していた「泉北ニュータウンの基礎知識」を再掲載しています。2023年1月加筆修正。
まちがい等ありましたらご連絡ください。>>コミュニティ編集部
- 0.1 あいあい橋【あいあいばし】
- 0.2 愛彩館高倉台店【あいさいかんたかくらだいてん】
- 0.3 青葉はつが野小学校【あおばはつがのしょうがっこう】
- 0.4 赤坂公園【あかさかこうえん】
- 0.5 赤坂台【あかさかだい】
- 0.6 赤坂台近隣センター【あかさかだいきんりんせんたー】
- 0.7 赤坂台交番【あかさかだいこうばん】
- 0.8 赤坂台小学校【あかさかだいしょうがっこう】
- 0.9 赤坂台中学校【あかさかだいちゅうがっこう】
- 0.10 赤坂台幼稚園【あかさかだいようちえん】
- 0.11 あかしや橋【あかしやばし】
- 0.12 あかとんぼ橋【あかとんぼばし】
- 0.13 足谷池【あしたにいけ】
- 0.14 味彩の郷フローリー【あじさいのさと ふろーりー】
- 0.15 あじさい橋【あじさいばし】
- 0.16 雨乞い蛙【あまごいがえる】
- 0.17 天原公園【あまはらこうえん】
- 0.18 あゆみ野【あゆみの】
- 0.19 いしたちはら公園【いしたちはらこうえん】
- 1 い
- 1.1 石津川【いしづがわ】
- 1.2 和泉いぶき野大橋【いずみいぶきのおおはし】
- 1.3 和泉リサイクル環境公園【いずみりさいくるかんきょうこうえん】
- 1.4 泉ケ丘駅【いずみがおかえき】
- 1.5 いずみがおか園【いずみがおかえん】
- 1.6 泉ヶ丘大橋【いずみがおかおおはし】
- 1.7 泉ヶ丘市民センター【いずみがおかしみんせんたー】
- 1.8 泉ヶ丘センタービル【いずみがおかせんたーびる】
- 1.9 泉ヶ丘町【いずみがおかちょう】
- 1.10 泉ヶ丘図書館【いずみがおかとしょかん】
- 1.11 泉ヶ丘プール【いずみがおかぷーる】
- 1.12 泉丘幼稚園【いずみがおかようちえん】
- 1.13 和泉市いずみの国歴史館【いずみしいずみのくにれきしかん】
- 1.14 泉田中【いずみたなか】
- 1.15 和泉中央駅【いずみちゅうおうえき】
- 1.16 和泉ニュータウン【いずみにゅーたうん】
- 1.17 いずみの国歴史館【いずみのくにれきしかん】
- 1.18 1号線【いちごうせん】
- 1.19 いづみ健老大学【いづみけんろうだいがく】
- 1.20 いのしし公園【いのししこうえん】
- 1.21 いぶき野【いぶきの】
- 1.22 いぶき野大橋【いぶきのおおはし】
- 1.23 いぶき野小学校【いぶきのしょうがっこう】
- 1.24 いるか公園【いるかこうえん】
- 1.25 イルカの広場【いるかのひろば】
- 2 う
- 3 え
- 4 お
あいあい橋【あいあいばし】
和泉市と住宅都市整備公団(当時)が、光明台ニュータウンの完成を記念して光明池大橋の愛称を公募、383通の応募の中から採用された名前。昭和60年(1985年)3月30日に行われた光明台フェアで発表されたが、ほとんど定着しなかった。
愛彩館高倉台店【あいさいかんたかくらだいてん】
高倉台近隣センター内にあったスーパー。
丸高ストア、髙島屋ストアが撤退後、1999年4月にオープンした。2004年4月に撤退。
この後同センターはしばらくスーパー不在の状況が続いたが、平成20年(2008年)、コミュニティ・スーパー「オールワン」を併設した有料老人ホーム(グッドタイムリビング泉北泉ヶ丘)がオープンした。
なお、コミュニティ・スーパー「オールワン」は2014年3月末に閉店、2015年6月12日にみんなのマーケットるぴなす(就労継続支援B型)がオープンした。
青葉はつが野小学校【あおばはつがのしょうがっこう】
和泉市はつが野1丁目50-1に所在する和泉市立小学校。2006年4月、緑ヶ丘小学校から分離して開校。
校区ははつが野と青葉台全域。開校時の児童数は約560人であったが、付近の開発にともない児童数が急増、2008年にはプレハブの校舎を建設、その後鉄筋コンクリート造り3階建ての校舎を増築した。2013年5月1日現在の生徒数は34クラス1032人だが、まだ増加中。
校歌「Dreams surely come true」は開校にあたって緑ヶ丘小学校の児童たちが作詞、これに同小OBのピアニストで作曲家の宮崎剛(たけし)さんが曲をつけた。
校舎はエレベーターや障害者用トイレを供えたバリアフリー設計で、廊下と教室との仕切がないオープン教室(和泉市内で初)。ただし、冬場は寒く、廊下の声が聞こえるなど不評で、増築した校舎は廊下と教室との間に取外し可能なつり下げ式の間仕切りを設置。既存の校舎にも透明のカーテンがその後取り付けられた。
赤坂公園【あかさかこうえん】
赤坂台2丁、赤坂台幼稚園や小学校のすぐそばにある近隣公園。
公園西端にグラウンドがある。芝生広場や藤棚も。東側には二本木山古墳が保存されている。面積41,000㎡。園内に長池。
※赤坂公園入口に入らず、右手に進むと二本木山古墳の説明板がある。
赤坂台【あかさかだい】
昭和50年(1975年)3月、光明池地区で最初に入居が始まった住区。
基本計画ではM住区。地名の由来はかつてこの地に「赤坂」という小字があったことから。
当初の計画戸数は3280戸。1丁~6丁から成り、面積110ヘクタール。2009年4月末現在3540世帯・9047人。
住区内に赤坂台幼稚園、赤坂台保育所、赤坂台小学校、赤坂台中学校がある。
赤坂台近隣センター【あかさかだいきんりんせんたー】
赤坂台の街びらきとともに昭和50年(1975年)3月20日にオープン。
市連マーケットを核に、商店10店舗と地域会館で構成。市連マーケットはその後セルフ方式のアペティートになり、95年には等価交換方式で高層マンション(ファミール赤坂台)の中に入るかたちになった。アペティートが01年3月に突然閉店した後、同年11月に「千成」が入店、2009年11月、千成から「リベラル赤坂台」に変わった。このリベラルも2012年3月に突然閉店、2012年5月現在、核店舗のない状況となっている。
円形広場をぐるりと囲むユニークなかたちが、特徴だった。
しかし、2012年、アーケード部分を府タウン管理財団から商店会が引き継ぐ際に「商店がある部分」だけ引き継ぐことにしたため、残りのアーケードは撤去され、半円形になってしまった。アーケードの引き継ぎは各センターで順次行われているが、半分だけ引き継ぐというケースはめずらしい。
なお、赤坂台センターの個人商店街については「欠陥店舗だ」として分譲当初から商店主らと企業局の間で紛争が続いていたが、89年に決着をみた。この問題の影響で、1店舗はずっと「未分譲」のままシャッターがおりたままだった。
赤坂台交番【あかさかだいこうばん】
赤坂台2丁4番1号に所在。1989年12月に開所。
赤坂台は野々井派出所の担当エリアだったが、同派出所が老朽化したため、500メートルほど移転・新築、名称も変更したもの。鉄筋コンクリート二階建て、のべ54平方メートル。赤阪公園の一角を堺市から借り受けて建設。とんがり屋根のキュートなデザインは赤坂台保育園、赤坂台幼稚園がすぐ近くという付近の景観にマッチするよう配慮されたもの。
赤坂台小学校【あかさかだいしょうがっこう】
赤坂台2丁2番1号に所在する堺市立小学校。
昭和50年(1975年)創立。児童数は昭和58年度(1983年度)に1817人を記録、マンモス校解消の陳情が出されたこともあるが、近年は減少気味。
赤坂台中学校【あかさかだいちゅうがっこう】
堺市南区赤坂台2丁1番1号に所在する堺市立中学校。略称「あかちゅう」。昭和50年(1975年)4月1日開校。
生徒数はピーク時には1600人を超え、晴美台中と並ぶマンモス校であった。「明るく・たくましく・けじめをつける」が校訓。出身者に女優の沢口靖子、映画監督の村松亮太郎がいる。
赤坂台幼稚園【あかさかだいようちえん】
赤坂台2丁3番1号に所在する幼稚園。
1975年(昭和50年)4月、赤坂台の街開きとともに開園。学校法人松井学園が経営。
あかしや橋【あかしやばし】
宮山台小学校と多治速比売神社間の道路にかかる陸橋。
あかとんぼ橋【あかとんぼばし】
栂緑道の途中、御池台近隣センターそばにある陸橋。
ほたる橋とつながっていて、どこからどこまでがあかとんぼ橋かよくわからない。さらにすずむし橋とT字型につながるというややこしいことになっている。
足谷池【あしたにいけ】
宮山台2丁にある池。満水時の面積1.25ha。
味彩の郷フローリー【あじさいのさと ふろーりー】
御池台近隣センターの核となるスーパー。1980年にオープンした市場形式の御池台ショッピングセンターが95年10月にワンフロアーのスーパーとして、名前も新しく生まれ変わったもの。2階建てで1階には食料品や衣類、日用品など、2階は駐車場や事務所などがあった。2016年3月に閉店。
2016年11月に業務スーパー御池台店がオープン。その後、泉北新鮮村にリニューアルするも2019年9月に閉店し、一度は更地に。現在は介護施設が建っている。
あじさい橋【あじさいばし】
赤坂台小学校近く、赤坂台2丁~3丁にかかる陸橋。 光明池地区の陸橋には、このように低木の名前が多くつけられている。
雨乞い蛙【あまごいがえる】
光明池の北堤、光明池守護神社そばにある大きな蛙の石像。体長1.8メートル、体重5トンの中国製。
03年に守護神社再建20周年を記念して、「光明池守護神社再建奉賛委員会」が寄贈したもの。
「水不足を克服しようと努力した先人の思いを忘れず原点にかえる」と言う思いを込め、また「日照りにも耐えうる豊かな貯水と住民の憩の場としての光明池を見守るシンボル」として「雨乞い蛙」と名付けられた。
とにかく大きくてりっぱなものです。カエルファンの人はぜひ一度現地へ。
天原公園【あまはらこうえん】
竹城公園(竹城台三丁)の旧称
あゆみ野【あゆみの】
和泉市の地名。和泉ニュータウン(トリヴェール和泉)の西部ブロック。約100ヘクタール。
阪和道岸和田・和泉インターそばという立地を生かした産業ゾーンとして位置づけられ、住宅用地はない。
1996年に府立産業技術総合研究所が開設され、その後民間企業も進出したが、動きは鈍かった。
2007年に大型複合商業施設「モラージュ和泉」の計画が明らかになり、注目されたが結局不況のあおりで計画中止。土地は購入した双日が違約金を払って解約、URが分譲をやりなおすことに。
2011年7月にケーズデンキ岸和田和泉インター店がこのエリアのすぐ北にオープン。
2012年8月につくしの公園がケーズデンキの南側にオープン。
2012年、モラージュ和泉が計画されていた土地を三井不動産と三井住友ファイナンス&リースが購入。大型商業施設の計画が明らかになった。このエリア内に2014年6月にコストコ和泉倉庫店が、同年10月にららぽーと和泉がオープンした。
いしたちはら公園【いしたちはらこうえん】
いぶき野2丁目10番にある公園。2.4ヘクタール。
園内に池(地獄池)があり、池を囲むように散策路があり、子供用の遊具、あずまや風の休憩所もある。トリヴェール和泉内の公園では最も古い。春には桜が美しい。
い
石津川【いしづがわ】
二級河川。約13キロメートル。
豊田の大正池付近に源流があり、堺市内を北流し、堺泉北港で大阪湾に注ぐ。
泉ヶ丘西方の妙見川あたりから津久野周辺まで、泉北2号線に並行する。妙見川、陶器川、和田川、甲斐田川などは支流である。
和泉いぶき野大橋【いずみいぶきのおおはし】
和泉中央駅近く、泉北高速鉄道と近畿自動車道の上にかかる陸橋。長さ86メートル、幅24メートル。
1992年5月29日、トリヴェール和泉の街びらき式で完成披露、三世代夫婦が同居している近所の二組の家族を先頭に渡り初めが行われた。
高欄には凝ったデザインのアルミ鋳物が使われ、泉北ニュータウンとはひと味違う、街の象徴的な存在となっている。
和泉リサイクル環境公園【いずみりさいくるかんきょうこうえん】
2001年(平成13年)和泉市納花町407-15にオープン。
総面積約7万5千平方メートルに及ぶ施設は、産業廃棄物処理場の跡地で、処理業者の大栄環境グループ(西宮市)が土地そのもののリサイクルを目指し、完成させた。
約7万株のイングリッシュラベンダー畑はまるで富良野と錯覚してしまいそう。2月はしだれ梅と日本水仙、3月にはラッパスイセン、4月にはチューリップ、5月の芝桜などが楽しめるほか、公園内にはテラス広場、多目的グラウンド、日本庭園もある。
泉ケ丘駅【いずみがおかえき】
昭和46年(1971年)4月1日、中百舌鳥~泉ヶ丘間泉北高速鉄道開業にともない、深井駅と同時に開業した駅。駅に続く泉ヶ丘センタービルも同時にオープンした。
島式ホーム。改札口から階段やエレベーターでホームに下りる。
住所は竹城台1丁。初代駅長・南清二さん。開業当時の駅舎面積延べ約1200平方メートル、連絡橋は幅6メートル。
当初は陸橋に屋根がなかったが、商店街からの要望で73年にアーケードができた。なお、この陸橋はよく揺れるので有名。「あんなに揺れてだいじょうぶか」と不安がる人も多かったが、いまのところ大丈夫のようだ。
ホームの待合室は72年設置。88年に駅舎増築、コンコースを広げ、身障者トイレも新設、ケーキ店(現在はコンビニに)や改札前のケンタッキーフライドチキンなどはこのときにできた。96~97年の工事では、コンコース拡張に加えてエレベーターを設置したり身障者用トイレを男女別にするなど、福祉のまちづくり条例にもとづいたバリアフリー仕様となった。構内に絵画などが展示できる「ザ・ギャラリー」や幼児教室ができたのはこのとき。その後、耐震化工事も完了。
乗降客数は開業当時は1万人余り。91年度(69118人)までは増え続けたが、92年度に初めて減少、以来は減少の一途をたどっている。08年度の一日平均乗降客数は45979人。
いずみがおか園【いずみがおかえん】
三原台3丁3番1号に所在する保育所。常盤会学園いずみがおか園。0~2歳児を保育、満3歳からは泉丘幼稚園(別記)で預かる。
泉ヶ丘大橋【いずみがおかおおはし】
泉ヶ丘駅近くで泉北1号線から堺狭山線に連絡する橋。全長89.9メートル。
泉ヶ丘市民センター【いずみがおかしみんせんたー】
泉ヶ丘駅近く(茶山台1丁)に昭和58年(1983年)7月、堺市が開設した施設。住民運動が実って開設にこぎつけた図書館(泉ヶ丘図書館、のちに南図書館)とホール、集会室、老人集会所、障害者集会所から成る。鉄筋コンクリート造3階建て、延べ床面積約5050㎡。集会室は無料で利用できる。図書館の名前は変わったが、市民センターは従来通り「泉ヶ丘」の名がついている。
泉ヶ丘センタービル【いずみがおかせんたーびる】
泉ヶ丘駅東側(茶山台)に所在。昭和46年(1971年)4月オープン。敷地面積8070平方メートル、地下1階、地上5階、一部2階建ての鉄筋コンクリート造り。オープン当時、1階には郵便局、銀行、大阪ガス、電気関係のショールーム、専門店、2階には堺市役所泉北ニュータウン出張所(市民課・水道局・保健所)、大阪府泉北工事事務所、3階には泉北開発センター(現在のタウン管理財団)事務局、会議室、大集会室、4階には各種集会場が入り、5階は貸事務所として開放されていた。
2014年3月、南専門店街とともに南海に売却されることが決まった。
泉ヶ丘町【いずみがおかちょう】
昭和33年5月3日、もと泉北郡にあった東・西陶器村、上神谷村、久世村の4村と堺市が合併した際、町名を公募して泉ヶ丘町と名付けられた。35.34平方キロメートル。泉北高速の駅名「泉ヶ丘」はこれに由来する。また、泉北ニュータウンにおいては、泉ヶ丘駅を中心とする地域を泉ヶ丘地区と称するが、もとの泉ヶ丘町の範囲と一致するものではない。(図=堺商工会議所発行『堺のあゆみ』より=を参照)
泉ヶ丘図書館【いずみがおかとしょかん】
→南図書館(「み」の項)参照
泉ヶ丘プール【いずみがおかぷーる】
昭和47年(1972年)に三原台1丁にオープン。
24000㎡の敷地内に、流水プール、50mプール、円形プール、幼児用プールなど6つのプールがある。
オープン当初は府企業局が所有、泉北センターが管理していたが、1985年にニュータウン内の他の施設などとともに堺市に移管、86年から堺市公園協会が管理にあたった(85年は暫定的に泉北センターが管理)。06年に民間委託され、現在は泉北大希グループが管理している。堺市営のころは開業期間は毎年7月1日~8月31日と決まっていたが、民間の運営になってからは弾力的に運営され、水泳教室や水中ウォーキング教室も開催されている。
入場者数は83年の20万9165人をピークとして、最近は12万人前後。O157事件のあった96年は7月半ばから営業自粛、翌97年は小学生以下は無料としたこともあり、入場者は15万人近くになった。
→現在は閉場・取り壊し。近大医学部移転のため工事中。(2023年1月現在)
泉丘幼稚園【いずみがおかようちえん】
三原台3丁3番1号に所在する幼稚園。常磐会短大付属泉丘幼稚園。
2005年度に府下で唯一、国が進める幼稚園と保育所の機能を一体化させた総合施設のモデル事業に指定された。同園では0~2歳児を保育所(いずみがおか園)で、満3歳からは幼稚園(泉丘幼稚園)で預かっている。平成19年(2007年)に幼保連携型認定こども園となる。
和泉市いずみの国歴史館【いずみしいずみのくにれきしかん】
和泉市まなび野2番4(宮ノ上公園内)に所在する博物館施設。和泉市内で出土した文化財や歴史的資料の調査・研究、展示を行う。98年11月オープン。開館記念展は「和泉市の考古列品展」。その後「トリヴェール和泉展」「和泉槇尾山の至宝展」「和泉小黄金塚古墳展」「歴史の国和泉 名刀・甲冑展」「地域新聞展」などを次々開催。
泉田中【いずみたなか】
泉北2号線を挟んで庭代台・御池台の西側の地区。昭和34年~現在の堺市の大字名。
水田稲作地の中の農耕者の集落につけられた名が「田中」であるが、堺市には旧上神谷村田中と旧日置荘村田中があった。泉田中はもともと古い集落で、昔の文書では「和泉国大鳥群若松荘田中」、石津川を境に東西に分かれていたが、明治時代に合併し田中村となった。その後、周辺の村々と合併し上神谷村となり、昭和30年、今の深井周辺の村と合併して「泉が丘町」となり、昭和34年堺市に合併になったとき「泉田中」と町名がついた。昭和48年に一部が庭代台、同53年御池台となる。
和泉中央駅【いずみちゅうおうえき】
平成7年(1995年)4月1日開業。3階建ての橋上駅舎で、地階(掘割)がホーム、1階が改札・コンコース、2階が駅前専門店街への連絡デッキに。駅ビルには喫茶店や銀行のキャッシュコーナーが入っている。また2階にはミニコンサートや展示ができるコミュニティスペースを設置した。全面禁煙。桃山学院大学への最寄り駅であり、学生の利用が多い。一日あたりの平均乗降客数は開業直後の95年度が16702人、08年度で29471人。 なお、仙台の地下鉄には「泉中央」駅が、神奈川県の相模鉄道には「いずみ中央」駅がある。
和泉ニュータウン【いずみにゅーたうん】
和泉中央駅周辺に位置するニュータウン。住宅都市整備公団(現UR)が中心になって造成・開発した。大阪府内では千里ニュータウン、泉北ニュータウンに続く三番目の大型住宅開発。
和泉市の丘陵部に泉北高速を延伸して新たなニュータウンをという構想がまとまったのは、泉北ニュータウンがまだ完成していない1976年。和泉市が昭和48年度に市の将来計画を立てた際に計画の一部として織り込んだ計画を大阪府が受け、財源的な意味もあって宅地開発公団に協力を要請、和泉市と府企画部、宅地開発公団の三者でプラン作りをすすめてきた。
このころの計画では総面積約370ヘクタール、計画戸数1万戸・人口37000人の街であったが、その後計画が見直され、1986年(昭和61年)に起工式が行われたときには約8500戸・32000人の街に、88年には西部ブロックの大半を特定業務用地にしたため7000戸27000人に、さらに2003年には企業のための住宅(社宅)用地も廃止して25000人の街ということになった。
ちなみに起工式から28年たった現在(2014年3月末)の人口は5847世帯・17712人で、いまだに目標に達していないスローペースぶりである。
入居開始は92年3月末、まずいぶき野(北部ブロック)から。95年に泉北高速が和泉中央まで延伸と同時にまなび野(東部ブロック)に桃山学院大学が移転、98年3月には、はつが野(東部ブロック)に入居が始まった。産業ゾーンであるあゆみ野と学園ゾーンであるまなび野にはほとんど人は住んでいない。
和泉ニュータウンの愛称はフランス語で「3つの緑」=北部・東部・西部ブロック=を意味する「トリヴェール和泉」。
まちづくりにあたっては景観を重視、電柱もなくした。歩道も幅5メートルと、ゆったりしたつくりとなっており、全体的におしゃれでゆとりある街の雰囲気を醸し出している。
※のぞみ野はその地名のひびきから和泉ニュータウンの一部と思われることもあるが、そうではない。
いずみの国歴史館【いずみのくにれきしかん】
→和泉市いずみの国歴史館を参照
1号線【いちごうせん】
→泉北1号線(「せ」の項)参照
いづみ健老大学【いづみけんろうだいがく】
老後の生きがいを自らの手で見つけよう、と有志らのボランティアが泉北ニュータウンに老人大学開設実現を目指し、昭和54年(1979年)6月、堺ではじめての老人大学として開校。当初、定員100人を予定していたが、予想を上回る240人ほどの応募で、185人を受け入れることになったという人気ぶりだった。初代学長は元堺市助役早勢弥一郎氏。本部は堺市伏尾の老人ホーム「福生園」に置いたが、後、泉ヶ丘センタービル内に。
1年制で、全体で参加する一般教養講座と英会話、書道、絵画など多くの中から選択する専門講座とがある。通常5月に入学、秋には体育祭、翌年3月に1年の締めくくりとして大学祭を開催する。クラブ活動もさかん。会場は泉ヶ丘センタービルの集会室ほか、付近の公共施設などを利用、事務局はボランティアによって運営されている。発足当初は「自力で通学できる55歳以上の人」が入学資格だったが、91年から年齢を「60歳以上」に引き上げた。
府による老人大学南部講座も85年に開校(07年廃校)したが、先駆的存在として変わらぬ存在感を保ち、いまも多くの高齢者が学び、交流する場となっている。2011年4月、NPO法人となった。ひまわりがシンボルマーク。
いのしし公園【いのししこうえん】
高倉台4丁にある児童公園。面積0.77ha。いのししの絵をあしらったプレートが入口にある。
いぶき野【いぶきの】
和泉市の地名。和泉ニュータウン(トリヴェール和泉)の北部ブロック。トリヴェール和泉では最も早く92年3月末に入居開始した。和泉中央駅の北側と南側にまたがっており、エコールいずみや和泉シティプラザなど主要な公共施設、商業施設を含む。1~5丁目から成り、面積122ヘクタール。2014年3月末の人口は3797世帯・10911人。
いぶき野大橋【いぶきのおおはし】
→「和泉いぶき野大橋」を参照のこと。
いぶき野小学校【いぶきのしょうがっこう】
和泉市いぶき野3-3-1に所在する和泉市立小学校。1992年4月開校。敷地面積25000平方メートル、いぶき野の景観にマッチするモダンな校舎である。当時、いぶき野に隣接する地区の北池田小学校が児童数1000人を超えるマンモス校となっており、北池田小の校区を南北に分割、南をいぶき野小の校区とした。入居の遅れで開校当初は教室の半分が空き教室であったというが、2005年には児童数1212人で、市内1のマンモス校となった。それ以降は減少に転じており、2013年5月現在30クラス846人。
いるか公園【いるかこうえん】
宮山台4丁4番(宮山台幼稚園そば)にある児童公園。面積0.53ha。
イルカの広場【いるかのひろば】
1999年(平成11年)、泉北センターが泉ヶ丘センタービル1階の通路部分を案内広場に改装した。天井にイルカの造形物、床面に方位のイラストマークを配置、周辺案内図やビッグバンなどの施設を紹介するモニターテレビを設置、待ち合わせやミニイベントの場所になっている。広場の愛称は一般募集し、応募総数120点の中から、佐々木孝枝さん(若松台3丁)の「イルカの広場」に決定した。
う
丑池【うしいけ】
竹城台1丁にある池。満水時の面積2ha。
牛石古墳【うしいしこふん】
西原公園、ケヤキ並木のそばにある古墳。後期古墳時代のものと思われる。栂丘陵にあった多くの古墳は「牛石古墳群」と呼ばれているが、その象徴的なものがこの古墳。
盗掘がひどくて副葬品はまったく出土せず、表面の土もはぎとられて石室の天井石がむきだしになっており、そのかたちが牛の寝た姿に似ているから「牛石」と言われるようになったという。被葬者は須恵器の生産にあたっていた陶工を配下に従えた族長クラスの人物と思われる。
このあたりは昔は人家も少なく、キツネがすむ寂しいところだった。近くの大方池の水が血のような色に濁るのは、何者かがこの石に斧を打ち下ろしたために石から流れ出る血のせいだというような不気味な伝説もあり、あまり人が近づかない場所だったそうだ。牛石から原山大師(現在の原山台3丁付近)に至る道は丑の刻参りが行われた参道であったともいう。
え
えにしだ橋【えにしだばし】
美多彌神社近く、鴨谷台1丁~城山台1丁にかかる陸橋。
NTT泉北営業所【えぬてぃーてぃーせんぼくえいぎょうしょ】
若松台3丁2番1号。昭和35年に無人従局として発足、その後、鳳分局泉北機械室となり、昭和51年に泉北分局として開局、53年に泉北電報電話局になった。建物は敷地面積6089平方メートル、建築面積のべ4428平方メートル。地上4階建て。2003年6月、NTTの合理化に伴って廃止され、現在1階にはローソンが入っているが、交換業務は引き続き行われている。
電話加入台数は開局以来ニュータウン人口の増加にともなって増え続け、昭和58年8月には「5万台突破記念式」を行った。その後も増えたが(詳細なデータ不明)携帯電話の普及などもあり、全国的にも平成3~4年をピークとして減少に転じた。
ビルの名前は「NTT西日本泉北ビル」。派手なサモンピンクの外観が特徴で目印にもなっているが、建設当初はふつうの色だった。
えりか橋【えりかばし】
鴨谷台3丁~城山台2丁にかかる陸橋。
延寿荘【えんじゅそう】
昭和41年(1966年)5月、荒山公園内にオープンした府立老人福祉センター。展望風呂や大広間、和室、洋室があり、宿泊もできた。60歳以上の人のための施設だが、一般も利用できた(料金は異なった)。送迎もあり、研修や宴会などの利用にも便利で人気だったが、府の財政再建対策の一環として廃止が決まり、平成2年(2000年)3月末、惜しまれながら33年の歴史に幕を閉じた。閉館直前の利用者数は年間2万1千人程度。閉館後、建物は解体撤去され、敷地は堺市に返還された。
えんじゅ橋【えんじゅばし】
茶山台近隣センターから大蓮公園に続く歩道橋。
1980年1月完成。総延長73.5m、陸橋部分は30m、幅3m。当初、上り口をらせん状にする予定だったが、付近住民から「部屋をのぞかれる」とクレームが出て、直線のスロープに変更した。
お
オールワン【おーるわん】
前店舗である愛彩館高倉台店が2004年4月に閉店。しばらくスーパーが不在だったが2008年6月28日に有料老人ホームの併設スーパーとしてオープンした。
2014年3月末に閉店。跡地にはみんなのマーケットるぴなすがオープンした。
大池【おおいけ】
城山台4丁にある池。満水時の面積3.6ha。
大方池【おおかたいけ】
桃山台2丁、西原公園の西部にある池。満水時の面積0.82ha。
栂美木多駅のほうから西原公園に入り、けやき並木手前で左手に、散策路(春は桜が美しい)に沿って斜面をおりていくと、この池のそばに出る。
大阪ガスエネルギーセンター【おおさかがすえねるぎーせんたー】
茶山台1丁(泉ヶ丘駅前)に所在する泉ヶ丘地区センターの地域冷暖房の拠点。
1971(昭和46)年6月1日、操業開始。
地域内の個々の建物へは地域配管(埋設管)を通して冷熱源を供給する。個別方式にくらべて費用が軽減でき、公害防止に役立ち、また各ビルから冷却塔や煙突が追放され、美観上もすぐれているとされ、千里ニュータウンに続いてニュータウンとしては全国で2番目に採用された。区域面積約42ヘクタール、延床面積約23万平方メートル。
通信回線により、栂地区のプラントはここから遠隔運転をおこなっている。
大阪府タウン管理財団【おおさかふたうんかんりざいだん】
大阪府企業局が2005年11月、泉北センター、千里センター、臨海りんくうセンターの3つの府の外郭団体を解散させ、ひとつに統合させて作った財団。
これ以後、元の泉北センターは「大阪府タウン管理財団泉北事業本部」となった。その後、府都市整備推進センターと統合をめざして事業の縮小を図り、2011年に光明池駅前駐車場、2014年に泉ヶ丘駅南北エリア(センタービル、南専門店街など)の資産を売却。2015年3月末、泉北事業本部は解散した。
大阪府都市開発【おおさかふとしかいはつ】
1965年、泉北高速鉄道を運営する第三セクターとして設立。
大阪府が49%の筆頭株主で、大阪ガスと関西電力が各18%、ほかにりそな銀行、三井住友銀行など3行で各5%。傘下に泉北高速、パンジョ、大阪りんくうホテル、りんくう国際物流などを持っていた。
流通事業は黒字経営となっていたが、2011年、赤字から足かせとなっている大阪りんくうホテル、りんくう国際物流は経営から切り離された。2014年、泉北高速鉄道を含む残りの資産は南海電鉄に一括売却され、泉北高速鉄道株式会社に社名を変更した。
大阪府立障害者交流促進センター【おおさかふりつしょうがいしゃこうりゅうそくしんせんたー】
→ファインプラザ大阪(「ふ」の項)参照
大阪府老人大学南部講座【おおさかふろうじんだいがくなんぶこうざ】
→老人大学南部講座(「ろ」の項)参照
大蓮池【おおはすいけ】
若松台2丁の大蓮公園内にあるため池。満水時の面積4.66ha。
その名の通り、むかしは蓮がいっぱいの池だったのが、唐傘職人の一家が近辺に住みつき、傘紙に使う桐油が池に流れ込んで蓮が全滅、以来「蓮なし池」になった…という伝承がある。
大蓮上池【おおはすかみいけ】
大蓮池の南側、大蓮池とつながっているようなつながってないような小さな池。満水時の面積0.4ha
大蓮公園【おおはすこうえん】
泉ヶ丘地区の地区公園として、昭和47年(1972年)オープン。面積153,000平方メートル。公園中央に大蓮池、東側には芝生広場があり、休日には散策に、あるいはスポーツに訪れた市民でにぎわう。公園内に府立泉北考古資料館、公園北側には山の斜面を利用して「登り窯」復元模型が設置されている。
福祉の街づくりの一環で97~98年に改修工事が行われ、障害者用トイレが設置され、園内のスロープもゆるやかに手直しされた。すえむら資料館そばの遊具もこのとき設置された。