泉北ニュータウンとともに歩んできた泉北コミュニティの歴史を創刊から現在に至るまでご紹介します。
コミュニティのあゆみ
1971(昭和46)年4月1日
「泉北こんにちは」創刊
(B5判・8ページ、12000部でスタート。月2回、10日と25日に発行していた)
「東京の出来事や海外のニュースはわかっても、隣近所のことは知らない。こんな情報社会を補足し、近隣社会い温かい人間関係を蘇生しよう」
泉北ニュータウンが誕生して間もない昭和46年(1971年)、上のような志をもって、本紙は誕生しました。
創刊第一号には「高くつく泉北鉄道の運賃、泉ヶ丘~難波が150円」「公立保育所をつくれ、若松台や宮山台で請願運動」などの記事が見られます。
1972(昭和47)年3月
「泉北コミュニティ」と改称
1975(昭和50)年9月25日号
A4判になりました。
1976(昭和51)年5月から
月3回発行(5・15・25日)に。このころは16ページ。
1978(昭和53)年4月5日号
「泉北コミュニティ金剛・狭山版」発行(A4判・月2回発行、スタート時11000部)
1980(昭和55)年3月25日号
金剛さやまコミュニティも月3回、5・15・25日発行に
1982(昭和57)年1月8日号から週刊に。
当初は「毎週金曜日発行」
金剛さやまコミュニティも「第1・2・4金曜日発行」に。
1983(昭和58)年7月 「情報センター」誕生。
この頃泉ヶ丘駅前にあった事務所で、読者のみなさんからのさまざまな問い合わせに答えようと、始めました。
当時はなんでも電話の時代。一日100件近くの問い合わせがありました。